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サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

再生産:ニューロウェアのエンジニアリング

 

DNAを情報媒体とした「バイオウェア」(いわゆる生き物)のエンジニアリングは現在進行形で、特にゲノムの「読み書き」を中心に、文字通りの「ライフハック」が今後も進んでいきそうだ。しかし、神経細胞を情報素子とした「ニューロウェア」の直接的な「読み書き」はまだ何もできていない状態に近い。強いて言うと、受容体ターゲットな化学物質による「治療」とかLSDでラリるとか、DBSとか。一方で、間接的な「読み書き」…自然言語や身体言語を介した広い意味での教育や洗脳…のストック(ライブラリー)は多い。

 

ニューロウェアのコーディングは自然言語と思っていたが、OS形成期として捉えられる乳幼児期は身体的な操作(身体言語と言っても良いかもしれない)がメインとなる。ニューロウェアの「読み書き」にはおそらく三層…物理的な介入(化学物質や電気刺激)、アセンブリ的介入(身体言語、身体刺激)、スクリプト的介入(自然言語)…がある。もちろん、これが分離できず、かつ脳単独では機能できない(入出力装置とhard wiringされている)ところが、脳神経系の特徴ではあるのだけど。

 

再生産活動(子育て)はなかなか大変だけど、ニューロウェアのエンジニアリングと思うと、知的好奇心や探求心でなんとかドライブすることもできる。半導体を情報素子としたシリコンウェアや、DNAを情報媒体としたバイオウェアの次世代とも言えるニューロウェアのR&Dと思えば、なんとかね・・・

 

日常的な言葉で言うところの愛着、発達過程でのアタッチメント・キャピタルが、その後の成長の一番のリソースな気が段々と強まるが、これを物質的/コーディング的に考えるとどうなるか。「人の温もり」が云々という話は以前はまったく興味なかったけど、アタッチメントの形成は、おそらく人肌の触覚と体温、インタラクティブな音声的やりとりが物質的基盤な印象。嗅覚の果たす役割はよくわからず(インプリンティング的な機能はあるかも)。マウスではリッキングが養育行動だけど、ほ乳類なヒトでも、基本的には触覚が中心な気はする。

 

もちろんこれは自己に対しても言えて、自分自身をエンジニアリングしていくイメージも。医学(≠医療)はhuman engineeringの一部門だけど、「健康」という実体のわかりにくい点をゼロとしたセルシウス温度的な体系がやはり馴染みにくい。ゼロから分子的に神経的に精神的に何かの生き物を構築していくと考えると、つまり発生発達的に考えると、恣意的な点からのプラスマイナスで捉えるより、ゼロの地点を探す必要を感じる。セルシウス温度ではなく、絶対温度。日常では前者が便利だけど。

 

身体術(広い意味での健康法)には自己を形成していく方向と、他者を形作っていく方向がある。まさにphysical arts…physician的な。

生きる術としてのphysical arts - ideomics

 

しかし、そう考えると、出産やら母乳って凄いことだ。液体だけでヒトをしばらく生存させる上に、神経発達までさせるって奇跡的。uterusとその他器官*1を駆使したバイオウェア/ニューロウェアのエンジニアリングは、手を使う通常のエンジニアリングと直接比べるの難しいけど、実にもの凄いことやっている。

 

貴族から市民へ、資本所有者から技術者へ、と生産者の方向へパワーが徐々に分散していくとすると、「再生産のエンジニア」達へパワーが分散していく時代は来るのか。言い換えると、再生産する主体はパワーを持ちうるのか。ソースティン・ウェブレンが技術者の経済的地位向上を唱え、それがシリコンバレーで実現したように。というのは気になるところだ。再生産(バイオウェア/ニューロウェアの生産)の持つ潜在的なパワー(広い意味での権力)をいかに顕在化させていくかは、技術的な意味での「再生産革命」と並んで面白い論点になるはず。フェミニズムに限定した話ではなく、もっと普遍的な話として。というのも、再生産の質でその後の社会もかなり変わっていくから。直接的産業としての可能性も高いし、教育という文脈で言えば、外部経済も大きくなりがち。もちろん、どれも空手形になる可能性あるけど。

*1:社会通念としての性的なトーン外して考えられるとすると、手のような「制作器官」として、ニュートラルにも考えられる。つまり、職人/エンジニアとしての器官。情緒を排した一番即物的な理解。