ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

アマゾンではなく地元の店でリュックサックを買った話

 

子供の遠足にリュックサックを買った。アマゾンより数百円高かったけど、住んでいる地域の店で買った。まさか自分がこういう購買行動するとは夢にも思わなかった。1秒1円でも無駄にすると自己嫌悪に陥る効率厨だった昔が嘘のようだ。

 

地域の商店街が街の雰囲気や生活の精神的充実のベースになっていると仮定して、正の外部経済にお金を払うイメージ。経済合理性というけど、実際には外部経済を織り込んでいない「合理性」は、大局的には部分的な合理性に止まるし、長期的に考えるほど、外部経済を織り込んでいるものの方が少ない。ともすると「合理性」は、単なるcream skimmingでしかないことも。もちろん究極的には誰もわからないんだけど。アマゾンはアマゾンで便利なので、反市場とか反資本主義という意味ではなく、アマゾンと同時に地元の商店街もあって欲しいよね、くらいの意味。 

 

よく親同士の会話で、「もうほんと、子犬みたいで」と子供を動物に喩えることがあるけど、時々草木のような植生のようにも思えることがある。ゲニウス・ロキというか、土地の養分吸って成長しているようにも感じられたりするから。実験生物学でcultureというと培地のことだが、教養=culture=文化=culture=培地という面はありそうだ。文化=教養=培地=culture的な意味で、「土地を肥やす」とはどういうことだろうと考える。まぁ、会社で言うところの、持ち家=パートナー、賃貸=被雇用社員、の賃貸=被雇用社員でしかないんだけど。

 

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近所の祭りにふらふらと出かけると、何人か知り合いに会う。政(まつりごと)=祭り事、祭り毎って言うのを感覚的に感じる一日*1。色々価値観や生き方違うけど、とりあえず同じ場所に住んでるし、顔合わせるし、たまに一体感あるし、とりあえずおおまかにはこの場所でうまく暮らしていきたいよね、みたいな感覚。

 

そういう物理的・身体的な感覚なしで、「政治」をしようとしても、往々にしてイデオロギーや思想の闘争になってしまったりもすることも多い。「統治」と「政治」は違って、統治論争するのと、政治=「まつりごと」をすることが違うという言い方もできるかもしれない。民主主義の適切なサイズという議論に、今までリアリティなかったけど、少しリアリティが出てきた。

 ハンナ・アレントにおける政治の意味 - ideomics

 

もしかすると、民主主義は、貨幣のように一様にスケーラブルなものではないのかもしれない*2。地元の話は、高尚な理念的要素はあまり入り込めず、イデオロギーの住み心地は良くないし、マクロ感もなく、物理的にも概念としてもスケールしづらい。概念的なものより、身体的なものの方が、今現在のウェブ時代には不利だろうし*3。徒歩圏内での身体的感覚がない状態で、「民主主義」的な議論というの一段違う概念になりそうだ。

 

しかし、現代の祭りを支えているのが商店街で、経済活動が一種の祭り発生のインセンティブになっている、という意味で、(本来の意味とは違うけど)「まつりごと」の下部構造(支え)としての経済というのはありそう。

 

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「土地を共に肥やしていく」というのは、言うは易く行うは難し。不動産価格の上昇による含み益がその土地の価値上昇へのインセンティブになって、地場的なものへのコミットに繋がる、みたいな中長期的なインセンティブ構造、理論的には考えられるけど、現実にはありうるだろうか。。。いわゆる政治という言葉では収集つかない感じもするけど、徒歩圏くらいの単位で土地価格上昇に共にコミットする、くらいの意識であれば共有しやすそうな気もする。今は形骸化しているかもしれないけど、田園調布くらいになると「社団法人 田園調布会」がある。さすがに渋沢栄一の創業した街だけあって、ある種パートナーシップ的な経営をしているのかもしれない。法人概念が成り立つとしたら、企業におけるマネジメント概念を土地経営におけるマネジメント概念にスライドして考えることもできるだろうか。

 

こういったことを思うのも、企業的・職業的な活動に対して、地場活動へのインセンティブがなさ過ぎて、政治や再生産が相対的にやせ細っていっているように感じているから(政治に関しては投票率、再生産に関しては出生率を代表的な値として)。

 仕事と再生産 - ideomics

これで問題なければ、わざわざ課題化することもないけれど、長期的に良いトレンドとも思えない。というか、再生産については、人口動態を見るにかなりやばそう。再生産は政治以上に個人レベルでのインセンティブがないけれど、経済その他のインフラ中のインフラではある。個人レベルでのインセンティブ増加とともに、「法人」の参加もおそらく必要になる。土地の長期的な価値保持には、企業誘致は伝統的なものとして、東急電鉄の戦略よろしく教育機関がかなり手堅く永続きする感じもするが、「法人」と再生産の関係をwin-winに考えるとしたら、そのあたりだろうか。。。

 

*1:本来の意味での、古代の祭事とはだいぶ違うだろうから、レトリカルな意味で

*2:スケーラブルでないことにはプラスとマイナスがある。一点物のアウラと捉えられればプラス、そうでなければ基本的にはマイナス。土地においては前者のポテンシャルは理論的には常にありうる。と言ってよいだろうか

*3:という意味で、愛郷心ナショナリズムは、似て非なる部分があるかも。