ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

動物の視座、環世界

ユクスキュル・クリサート『生物から見た世界』


基本的には生物学の本とされているが、一種の文学/ナラティブとして読むやり方もありそうだ。ちょっと前に猫のライフログという話が流れていたけど、Google Glassも動物がつけたら、なかなか面白い光景が映りそうだし、情動が動くイベントでシャッターを押すことで、動物が何を「刺激」と受け取っているかが可視化できたら、より面白そう。そういや、昔バウリンガルというガジェットが話題になっていたっけ。


文学における共著、あるいは多視点の方法論・・・collective writing? - ideomicsにおける多視点も、ヒトだけでなく、動物の視点を加えたら、より世界が広がりそうだ。とはいえ、動物の視点を想像していくのは、相当に難事業だし、そもそも自然言語になりうるのかといった原理的な問題が山積している*1ノーベル文学賞の動向を見るまでもなく、色々な文化やバックグラウンドの視点がナラティブとして蓄積されているが、拡張していくなら、動物の視点もアーカイブに追加されていくのかもしれない。


動物の視点と言えば、『我が輩は猫である』は動物が語り手だけど、基本的には、夏目漱石の一視点の仮託。リアルに動物自体の視点を想像してみるのは、非常に大変だろうけど、おそらく視点の拡がりは凄そうだ。


というか、動物の前に、子供や赤ちゃんでしょ。という意見もありうる。
『私は赤ちゃん』

は、まさに赤ちゃんの視点を想像的に描いたもので、妥当かどうかはおいておいても、ユクスキュルの『生物から見た世界』と同様に、ナラティブとして文学の文脈に置くことができるかもしれない。


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てか、夏目漱石って、わずかしか読んだことないんだけど、今の文学界ではどういう位置づけなんでしょうか。中国、インド、ブラジルを始め、西洋化としての近代化が進んでいる中で、その「近代化」の苦悩やもがきやら欲望やらのrepresentationとして、一種の先進的・普遍的事例としてあるような気がして、文化的輸出という意味では、最近のクールジャパン的なノリ以上に、外国にとって本質的な意義があるような気もするんですが、これは気のせいなんだろうか。


2006年ノーベル文学賞オルハン・パムクが、トルコにおける「近代化」周りのナラティブだとしたら、夏目漱石さんの話も、新興国向けにパッケージ化して輸出できるような気もするのだけれど・・・どうなんでしょう。外貨獲得まではいかなくても、文化外交政策的に。

*1:ただそれを言い始めると、気持ちの表現とかも究極的には同じかも。