ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

アート思考?

だいぶ昔に、「医美」というサークルの展示を見に行った。

医X美:「レオナルド&ミケランジェロの解剖学」から「次の形」へ - ideomics


アートの効用。というと、実作をしている人や内的モチベーションの高い人には抵抗あるだろうが、その周辺としてアートからのtranslationalなアプローチをするとしたら*1、ある程度議論のテーマになってきそうなトピック。情動を動かして人生のエネルギーをキックすること、creativityを挙げること、視点をずらしていくこと、など様々な効用がありうるだろうけど、何らかのシステマチックな方法で、「思考」へと作用する形を構想/明晰化できないだろうか。ちょうどデザイン思考という言葉のように。


脳=思想するカラダ? - 『脳には妙なクセがある』池谷裕二著 - ideomics

例えば、歩き(足の運動、身体の揺れ)ながら考えるというプロセスが、思考に良いということが言われたりするけど、これを手の運動に置き換えるとどうなるだろうか。デザイン思考と呼ばれるものが、視覚化や物理化によって思考の方向を変容させていくプロセスだとしたら、手で「作品」なんかを作っていく過程で、同時に思考はどう影響を受けるだろうか。・・・脳の活性化部位の違いも踏まえて。造形する作業を通して、脳機能・思考はどう変容していくだろうか。

というように、物理的な造形をすることで、脳の活性部位を変えていくというのはひとつの方向かもしれない。もちろん、これは仮説的な話で、おそらくノーエビデンス。


モノを造形(二次元=絵等にしても、三次元=彫刻等にしても)することで、思考を広げたり、より明晰にしたり。例えば、○○という題材で、作品を作ってみることで、イメージによって、思考の幅を広げたり、もっと自由に先入見からフリーに思考できるようになるという作用はありそう。あるいは、言語によって明晰化するのとは、別様な「明晰化」になる可能性もある。いやむしろ、言葉にしたり説明したり図解するのが明晰化を目的としている一方、明晰化とは逆に、一旦セットバックして遠くに引いて、大枠で捉えたり、先入見や事前知識からフリーになるのを主作用としても良いのかもしれない。


抽象概念の可視化や物質化。20世紀中頃の抽象絵画あたりを参考に、思考をドライブさせる方向にその方法論を生かせないだろうか。あるいは、既にある作用を明晰に理解できないだろうか。抽象的な概念を無理矢理、「物質化」「可視化」してみること。


「スーパーで食材を見ながらの方が、夕食の献立が考えやすい」という現象。よくある風景だけど、なかなか示唆的かもしれない。というのも、素材を見ながらの方がアイデアを浮かべやすいというレベルに抽象化した意味で。つまり、思考する際の「オブジェ」の効用。そして、それを自分(か誰か)が作り出してみるというアプローチ。


これは医療だけじゃなくて、サイエンスにも使える可能性はあるかもしれない。医X美:「レオナルド&ミケランジェロの解剖学」から「次の形」へ - ideomicsでも触れたが、Cell、2007年9月7日号の荒木師匠のイラストの表紙だった。



プロテインや細胞の働きを戯画化するのは、必ずしも良いとは言えないが、一旦想像力をフリーにして、プロテインやら細胞やらDNAやらの挙動を、想像的に構想してみるってのは、時折やるには、良い柔軟体操になるのかもしれない。どんなに人間がScienceと言ったところで、所詮お釈迦様の掌の上で遊んでいるだけだし、どんなに突拍子のないことを考えようが描こうが、所詮Natureの掌と思って、のびのびとやってみるのもありかも。よく小学生が学校行事だかで「未来の車」みたいな感じで、想像的に絵を描いていたりしてるけど、それに倣って、一旦知識や前提は置いておいて、Cellの挙動も想像的に描いてみるのはどうだろうか。


ちなみに、参考までに、Cellでは、デザイン思考も取り上げていて、
http://www.cell.com/retrieve/pii/S0092867411012086
も面白い記事だった。


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2013年3月28日追記

俗に言う右脳、左脳というフレームに一定の妥当性があるとしたら、両手を使うような作業(作品作りなど)によって、両方が活性化されるということもありうるんだろうか。つまり、一般的な意味での思考=俗に言う左脳活動として、「手を動かしながら考える」という作業によって、俗に言う右脳的な部分が活性化されたりするのかしら?作り手のイマジネーションなども部分的に説明できるか?

*1:translational research的な意味でのtranslational