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オブジェクト思考ブロギング

ソーシャル・デザイン。「社会実験」のグラント化?グラントの民主化?

楽しく読んだ。シリアスになり過ぎずに、楽しく社会の問題を解決していくコンセプトや実践例が並んでいる。


例えば、タバコの代わりにシャボン玉を一服する東京シャボン玉クラブ(東京シャボン玉俱楽部)。常々、非喫煙者として喫煙所のコミュニケーションは羨ましいなと思っていたけど、タバコの代わりにシャボン玉のストローを吹く「喫煙所」のアイデアは、なるほどと思った。タバコの依存って、ニコチンだけでなく、口寂しさみたいなのがあるとしたら、ひとつの代替案かも。


他には、街の人とオープンな地域ぐるみの子育てをする「まちの保育園」(まちづくりとこどものこと、コミュニティのこと | まちの保育園)も魅力的なコンセプト。子育てを両親だけで抱え込むと、労力的な意味ではなく精神的に行き詰まりやすいし、深刻になりがちなので、より広い人たちと薄く広く接することができたら、子どもものびのびするかもしれない。もちろん人見知りとかはあるだろうけど。子どもを連れていると、赤ちゃんって中高年以上の奥様方のキラーアプリだなと思うことが多いけど、少し時間に余裕のある奥様方も楽しいかもしれない。


途上国の電力不足を解決する自家発電型サッカーボール「ソケット」(途上国の電力不足をサッカーで解決!ハーバード大で発明された自家発電型サッカーボールの新ムービー! | greenz.jp グリーンズ)はなるほどと膝を打つ。確かに、サッカーに向ける情熱を発電に変えられたら、それは再生可能エネルギーだわさ。といった風に、ちょっとしたアイデアだけど、ポテンシャルがありそうなコロンブスの温泉卵なアイデアが詰まっている。さらっと読めるしオススメ。


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ところで、こういった「ソーシャルデザイン」ってのは、自然科学における実験/研究と同様に、グラント化できたりするものなんだろうか。と気になる。というのも、どのアイデアも、試験的なものでスタンダードな打ち手ではないという意味で、「実験的」と言える部分があるから。つまり、一種の「社会実験」(社会科学の研究という意味ではなく実践的な)と捉えられる。


仮に、こういうソーシャル・デザインへの志向が、ごく限られた人ではなく眠っているとしたら、アイデアとモチベーションのある人が、プロポーザルを書いて、それに「研究費」として多少の(あくまでも多少の)予算が付くとしたらどうだろうか。市民全員(正確には一部)が、「(社会)実験家」のポテンシャルを持っていると仮定して。いわば、「グラントの民主化」。


自治体の財政を使うという意味ではイマイチかもしれないけど、政策とか街づくりなど、もともと自治体がやっていることから、開かれた公共みたいな概念を推し進めるとすると、「自治体」というのは、ちょっとした(あくまでもちょっとした)ソーシャルデザインを誘発するプラットフォームになれるかどうかみたいなことが大事になるのかもしれない。いわば、(オプショナルな)公共事業のトータルフットボール。せちがらいことを言えば、好きなことやってもらうけど、給料という形ではなく実費的な研究費として出すから、ふつうの外注よりCP良いかもしれないし。いわゆるビエンナーレ系のアートプロジェクトなんかもひとつのモデルかも。


ソーシャル・デザイナーから見ても、そういうプラットフォームがあれば、よりやり易くなりそう。モチベーションがとても高ければ、システムがあろうとなかろうと、既に行動を起こしているだろうけど、あくまでも「ちょっとした思いつき」の心を大切にするとしたら、ある程度プラットフォームがあった方が良さそうだ。それに、ソーシャル・デザインと言っている以上、パブリックスペースを使うことも多く、行政との関わりはどこかで出てくるだろうし。システマチックになれば便利で効率良いし、またお金だけでなく、ソフトなバックアップとして期待もできる。


いわば、マイクロNPO/マイクロ・ソーシャルベンチャーとも言えるかもしれない。NPOを作るほどガチンコではできないけど、なんとなくアイデアを持っている人をencourageする仕掛けとして。事業の始め方としても、ちょい前からよく聞く、リーンスタータップとかリアル・オプションといった考え方ともよく馴染みそう。グラントベースの「社会実験」=マイクロNPOとして始めて、成功したらしっかりとしたNPOとして作るというルートも、想像としてはあり得そうだ。


リスクとしては、やはり公共事業と同じように、縁故などによって、ファイナンスが歪められるということがあるかもしれない。これは、資金、プロジェクト、プロポーザル、進捗なんかを全部オープンに公開することである程度解決できそう。言葉は悪いけど、オープンにすることで隣組的なチェック機能が期待できる。と同時にプロジェクトから見ると、広報にもなるし、市民的には気になるプロジェクトを調べることができる。


欲を言えば、Kickstarter的な感じや、本書に登場する井上英之さんのように行政に頼らないで自立的に回る方が、より成熟した姿なのだろうけど、なかなか一般化は難しそうな気もする。それに、スペースやルール上で、パブリック性が高まるほど、どこかで行政との関わりが生まれることが多い以上、初めから行政内にプラットフォームがビルトインしてた方がやりやすそうだ。お金というよりは、そういう繋がりとかソフトなバックアップが最終的には役立つのかも


Gov2.0のように、データ・APIを公開して、データを利用したアプリを自由に作ってもらうといった、情報ベースの新しい公共というのも、もちろん大切に違いなく、特に国家レベルの政治には、特に重要かと思うけど、よりミクロな自体体レベルでの政治には、こういった「ソーシャルデザイン/社会実験」のグラント・プラットフォームが良さそうな。そこでの実績から政治家を選べれば、より選挙での選択も自信が持てるだろうし。あるいは、「社会実験家」なる新しいタイプの人たちがうわっと出てきたら面白そうだ。社会貢献という言葉にはピンとこなくても、「社会実験」という言葉にはピンとくることもあるだろうから、そういうパッケージングも良いかもしれない。


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"書評:世界を変える偉大なNPOの条件"の駒崎さんの記事は非常に示唆的。例えば、

厚労省へのアドボカシーにより試験的事業を許可してもらい、

という部分の「試験的事業」というところが面白かった。繰り返しになるが、一旦ポリティカルコレクトネスを置いて、実質的な意味として、試験事業=社会実験として捉えれば、科学研究とアナロジーで捉えることもできそうだ。


そして、

政策に関するアイディアというものは、掃いて捨てるほどある。しかしそれがワークするかどうか、の問いに答えられなければ制度化は行えないのが、政策立案者の立場である。ゆえに、「回っている現場(サービス)」が強いアドボカシーの力を発揮するのだ。
「自らモデルを創り、それを政策にさせる」
非常にシンプルな原則だ。しかし、だからこそ非常に強力な原則でもある。このてこを使えば「社会を変える」というのは、そう難しいものではないのだ。

という文章は説得力がある。