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オブジェクト思考ブロギング

王道と覇道

ベネディクト16世のローマ法王退位後、誰が法王に就くかというところで、

http://www.thetimes.co.uk/tto/faith/article3684720.ece

みたいに、次は非ヨーロピアンアンセストリーな法王になる可能性もあるという話があるとかないとか。今の国際的な状況で政治的に動くなら、この辺で非ヨーロピアンアンセストリーな法王誕生というのが鉄板な感じもする。しかし、それにしても2000年とキリスト教の継続は気が遠くなる長さだ。シンプルに凄いと思う。天皇も継続年数で言うと、近いかそれ以上かもしれないけれど。15世紀前後などの例外を除いて、原則武力なしで継続する権威というのは、何なんだろうかと気になってしまう。穿った見方をすれば、Homo sapiensの権威欲求の裏返しかもしれないが。


「王国とは単一民族、帝国は多民族」みたいな話は、民族概念が揺らいでる中では使いにくいだろうけど、ざっくりとした考え方としてはなんとなく理解できる。中でも、どこかで読んだ、「大英帝国は大きな失敗のひとつは、ガンジーみたいな人材を統治サイドにインテグレーションできなかったこと。ローマ帝国五賢帝の一部がイベリア半島出身だったり、オバマが大統領になったアメリカと対照的。」という趣旨の、塩野七生氏の指摘は、今も印象的だ。


今も続く英連邦圏とか見ると、当然イギリスの統治も優れていたことは間違いないのだろうが、こと統治サイドへの多民族インテグレーションという意味では、大英"帝国"というのはミスリーディングで、拡張された大英"王国"というのが、もしかしたら当てはまるのかもしれない*1。塩野氏の解釈を、帝国の定義として当てはめるとすると。


例えば、ヤングジャンプ連載中の『キングダム』*2というマンガがあるけど、キングダム=王国として始まった秦の政王が、どう秦を「帝国」化し、「(始)皇帝」となるのか気になるところだ。作者は、そこをどう処理するのだろう。王国は帝国になるだろうか?政王は(始)皇帝になれるだろうか?


そういう意味で、王道と覇道というのは、区別しうるかもしれない。そして、これは国家の運営・統治という大きな話だけでなく、日常のミクロなリーダーシップから、企業とか大学とか、マネジメント全般に言えるのかもしれない。武力ベースの国家ではなく、価値ベースの繋がりであるカソリックが、さらなる「覇道(に相当するもの)」に踏み出すかどうかというのは、そういう意味で、国家構造としての王道・覇道とは、また違った面白さがあるのだろうし、もしかしたら、理論的にも重要なトピックなのかも(よくわからないけど)。

*1:もちろん、ヨーロッパの王室に関しては、血縁が複雑すぎて、単一民族も何もないだろうけど、統治サイド全般のこととして。

*2:キングダム (漫画) - Wikipedia