ideomics

オブジェクト思考ブロギング

議論のアーキテクチャー

会議の運営などにも共通するかもしれないが、議論の生産性を上げるにはどうしたら良いだろうか。トピックを決めるとか、事前に論点をまとめるといったことは当たり前として、議論のボトルネックになりやすいのは、批判をどう受け入れていくかという点な気がする。これは自分の自意識がまだ幼いということがあるとは思うけど。ディベートや競合とのプレゼン合戦でもない限り、勝つことに集中したり、批判に感情的に反発するのは最終的に損なことが多い。


感情的に反発するのではなく、どうしたら批判をより生産的な方向で活かすことができるだろう。ひとつには、(批判を受け入れた上での)改訂をあらかじめ折り込んで、自分の意見を、まずver0.0としておくのはありかもしれない。ここから更新していきますよという意思表示を明示することで、(不必要な)感情的こだわりからなるべくデタッチする。また、そして、ソフトウェア・コーディングの精神で、「バグがありましたら、レポートくださると幸いです。」と最後に付ける。改訂を前提にすることで、criticを吸収しやすくする議論のアーキテクチャーを作る。そして、実際に改訂していく。


自分の書いたものを、一旦脳内で「他人事」にするのもひとつの手だ。対話では難しいと思うけど、文章だったら、その文章を「第三者が書いたもの」として客体化して眺める。いわば、一時的に「解離」*1してみる。他人事であれば、「客観的に」眺めることもしやすい。デザイン思考の「客体化」もそれに近いかも。


自然科学というと、いかにも実験やって、データ集めてという風に捉えられやすいが、おそらく議論の文化をどう醸成していくかが、最終的な競争優位性の源泉かもしれない。と、『部分と全体』なんかを読んで思ったりもする*2。『部分と全体』は、その副題『私の生涯の偉大な出会いと対話』の通り、ハイゼンベルク大先生の人生における「対話」の記録である。そして、この本を通じたメッセージとして、「科学とは対話から生まれる」というのがある。もちろん、実証・実験も大事だけど、対話でコンセプトを練ったり、Big Issueを発見してったり。


このあたりは、おそらく人文系の人には、ごく常識的な話なのかもしれない。というのも、ソクラテスプラトンの、dialectic("弁証法"という難しげな訳より、もっとカジュアルに"対話術"くらいに捉えた方が良いのかもしれない)というのがきっと基礎にあるだろうから。もしかしたら、自然科学の世界の文化醸成で、(旧くて新しい)大事なことのひとつは、こうしたdialecticな議論の文化/アーキテクチャーを作っていくことなのかも。と思ったり、思わなかったり。




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(2014年3月22日追記)

『知の逆転』(吉成真由美著)で、DNA二重らせん構造の報告で有名なジェームズ・ワトソン氏が、「夏休みは実験をせずに、仲間でディスカッションをして、何が大事な問題で、何をすべきか、というのを討論していた。今の若い人たちは実験をし過ぎている。」といった趣旨の発言をしていて、これは新鮮な発見だった。アドバイスに従うかどうかは置いたとしても、傾聴すべき話だ。

*1:解離 (心理学) - Wikipedia

*2:実際、欧米からは、日本の科学は、fact collectingにしかすぎないとか言われることもあるらしいが