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大家族政策:家政学と経営学

年初に妻の実家で拡大家族おせち。結婚するまでは、相当に面倒くさいんだろうなと敬遠したい印象を抱いていたけど、普通に楽しかった。と同時に、結婚とは恋愛と違って二人以上の関係で成り立つものなんだなと実感。確かに、結婚と恋愛は違う。


核家族化とか、人類は随分と身の丈に合わないだいそれた社会を採用したもんだと思うよ。」という言った人があったけど、ほんとそうかも。これまでの社会は一見核家族でやってきたように見えるけど、それは個人の努力(親を見てこれは否定できない)もあるだろうけど、やはり累積1000兆円の先食いなど、「外部調達」に色々と頼っているだろうし。いずれにせよ、核家族が一般的にありえるという発想自体が一種の幻想であった可能性もある*1


拡大家族って前時代的でなんかネガティブなイメージだけど、これを有効活用してきたのが、ハプスブルグ、ロックフェラー、ロスチャイルドなんかで、日本でも安倍家や麻生家だとすると、家族の運営や「拡大性」がなんだかんだいって、ある部分で重要なのかもしれん。社会的成功という軸では。何かを推し進める時、点で展開する個人主義+α程度である核家族と、面で展開する拡大家族ってパワー違うだろうし。ファミリーという"ecosystem"の利用。



「戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ」(ハプスブルグ)


現代社会って、企業とかの組織が強そうだし、企業社会なんて言われたりもするけど、可視化されていないレベルではファミリーの影響力も強そう。少なくとも政治のレイヤーではかなり強力だろうし、企業だって経営レイヤーはそうかも。陰謀論には走りたくないので、よくわからないとしておくが。


理想主義者としての自分は、個人個人の自由な(非血縁的な)つながりとしてのassociationが社会を動かすみたいな世界観に惹かれるけど、一方で、現実主義者としての自分は、血縁による繋がりが最も信頼できるし、塊として強力だよね。とも思ったり。人間も所詮動物なわけだし。血縁的な群れ。信頼というのはこれからも重要な資本/資産だと思うが、血縁は手堅い担保の仕方のひとつだろう。

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血縁と信頼、ソーシャルキャピタルの関係は気になるところ。家族の"拡大"=ソーシャルキャピタルの蓄積、みたいな。


家族の拡大性って、封建制の遺物と捉えられがちだけど、それは被統治者的視点であって、統治者的視点では、むしろ積極的に活用すべきものである。という視座もありえるのかもしれない。リテラルのは完全に間違いだろうけど、「近代的な自由恋愛に基づく恋愛結婚と核家族」って、封建的統治階層が、自らの優位性の源泉を排他的に保存するために、被統治階層に与えた「夢」という言い方もありうるかも。


個人間の自由な繋がりとしてのassociationやそれの一種としての企業の運営を考えるのが経営学としたら、それと対置する存在としての「家政学」というのがありえるかもしれない。家族の「拡大性」を含めたマネジメントとしての「家政学」。福沢諭吉先生によって経世済民と訳されたeconomyだが、ギリシャ語の語源をそのまま訳すと、oikos(=家)+nomos(=管理)で、家の管理みたいな意味らしい。それに一番近いニュアンスで言うと、家政(学)。


政治家は妻がキーポイント、場合によっては選挙活動では本人より妻が大事みたいな話を聞いたりするけど、成功しているファミリーの管理ってどうしているのだろうか。特に、前面には出てい来ない女性たちの挙動は知りたいところ。自由恋愛をひとまず完全に脇に置いて、まずリアルポリティクス的に「家政学」を構想してみるのはひとつのスタンスとしてありうるだろうか。そこから、自由恋愛とかロマンスとをどう止揚させるとかは、後で考えるとして。



『千年、働いてきました―老舗企業大国ニッポン』でも、家族経営を経営力の源泉のひとつと捉え、特に、婿養子社長というシステムを評価していた。養子という形なので、実子と違って、人物を見極めながらしっかりとセレクションできるし、一旦養子になると、立場がそれほど強くない割に逃げられもしないので、仕事に邁進せざるをえないという動機付けもある。こういったマスオさん社長が、強い経営力に繋がる、と。これは、「家政学」と「経営学」の交差地点と言えるかもしれない。そして、こういったマスオさん社長のヘッドハンティング=結婚相談所という機能はひとつのビジネスかもしれない。

*1:もちろん、やろうと思えば努力次第だろうけど、今考えられている生活水準と必要努力量と比べて、平均的にという意味で