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オブジェクト思考ブロギング

「文化vs医療」@ヘルスケア、あるいは"公衆"衛生の意味

日本の平均寿命が高いと賞賛されているけれど、医療水準だけでなく、食文化から、行政による衛生管理、国民皆保険という社会制度によるものが大きいと言われていたりします。つまり、医療に限らない広い意味での「文化的現象」である、と。


しかし一方で、ヘルスケアを語る時の語り口の多くは、やはり医療的アプローチ、すなわち「病気」をどうこうするという形になりがち。わかりやすく効果的なので、まったく否定すべきものではないのですが、ある意味"ストレート過ぎる"フレームワークでもあります。この「病気」とか「診断」とか「治療」という考え方は。*1


日頃から思うことですが、「病院」って施設自体が、何というか基本的に楽しくないし、「病気」という言葉自体が、ネガティブなトーンを持っていることはどうしようもないんですね。もちろん、小児科を中心として、病院を楽しく元気な感じでプロデュースされている空間は多多あるし、多大な敬意を払っておりますが、やはり根底にある「楽しくなさ」はどうしようもない。これは顧客のお子さんの泣き声を聞けば明瞭です。



Let's Talk … Child Careより)


じゃあヘルスケアをもっと楽しくできないか、ヘルスケアを病気というマイナスではなく、もっとプラスの値で捉えられないか、というのは今後どんどん重要になるんじゃないかという論点だと思っていて*2、特に「医療モデル」(病気やら診断やら治療というフレームワークの総体)から一旦detachした上での"ヘルスケア"を構想できないか、というのは気になっております。ヘルスケア=健康増進とすると、従来だと医療モデル(病気モデル)を前提にした予防的な考え方で、経済的インセンティブや、病気になる怖さの回避といったあまり内的には楽しくない感じが多いイメージなので。



Nike社ウェブサイトより)


ひとつの雛形というかロールモデルになりそうなのは、NIKE社がやっているRun Together*3みたいなイベントやFUELといったプロダクトによる運動の娯楽化。運動文化に対するNIKEの貢献は少なくないと思いますが、特に興味深いのは、「娯楽化」という観点かと思います。スポーツ自体に内在する楽しさを中心としつつ、そこにうまく色々な人を巻き込む仕掛け。内的な楽しさを大事にしながら、その周辺の「娯楽化」をきっちりやる。いわゆるゲーミフィケーションというのは一つの王道でしょうか。


「ゲームニクスとは何か」サイトウ・アキヒロ - ideomics

世間的には悪者にされがちなソーシャルゲームも何らかのポテンシャルを持っているのかもしれません。FUEL的なガジェットの広がりも期待できそうですね。


アプリケーションレベルで健康増進的なエンターテイメントが始まり、それが習慣化されると、社会のOSに組み込まれていく。狭義の文化を、「楽しいもの」として、文化人類学とか社会学で言うような意味での広義の文化とは違う意味で使うと、アプリケーションレベルであった狭義の文化<楽しいもの>が広まっていくにつれ、徐々に広義の文化というOSに落とし込まれていく。ヘルスケアとか国民の健康なるものを見るとき、健康増進作用が、狭義・広義の文化というアプリケーション・OSにどの程度組み込まれているのかを見る、というのもありな気がします。


<ヘルスケア>=<医療>+<公衆衛生>

と分解してみる。公衆衛生(public health)という学問は、通常、医療の俯瞰的な調査や疫学といった扱われ方をしますが、本当に公衆publicを思うなら、つまり、病気というごく一部の人ではない本当のpublicに対してアプローチするなら、一旦「病気」「診断→治療」というフレームワークで考え「ない」ことが大事なのかもしれません。ほとんどの人が、ある特定の病気にひっかかるわけではないのですから。そして、これは非常に重要な点でありながら極めて看過されやすいのですが、医療モデルにおける慢性疾患に関しては、医療関係者からは「病人」であっても、ほとんどの人にとって自分は主観的には一個の「通常の」人間であり、「(異常としての)病人」とは認識され「ない」のですから。この意味では、公衆衛生的なアプローチは、医療モデルと一種の緊張関係にもありうる。


むしろ、publicを動かせる力、すなわち「楽しいもの」「わくわくるするもの」を考えること。医療モデルの病気的フレームワークを置いておいて、別様に健康増進ベクトルに動かす方向で「楽しいもの」を考えることが大事なのかもしれません*4。その意味では、公衆衛生というちょっと前世紀的で官僚的な響きも、もっとファッション的というかフジテレビ的な方向にニュアンスを変えていった方が良いのかしら。



http://reallifenewalbany.com/real-life-nursery/より)


もちろん綺麗に二分されるわけはなく、漢方とかはその中間に近いのでしょうか。健康に対する漢方のフレームワークは、「病気」モデルに近いですが、独特な切り口で、それはそれで興味深い。繰り返すように、vsと言っても対立するものではないし、当然医学や科学といった蓄積を無視して良いわけではありません。ともあれ、今のヘルスケアは「医療化」されすぎているという感触はありますし*5、もうちょっと別様な「ヘルスケア」があるんじゃないかと思ったりはするわけです。例えば、栄養学のルネサンス?"Architecture without architects."ならぬ"Heathcare without doctors"。そんなイメージです。


イリイチ『脱病院社会』

対立を先鋭化させすぎるとこうなるのかもしれないけど、両立を前提にするならば、聴くべき論点ではあるかもしれない。残念ながら、精神科領域は脱病院という運動が、医療の否定に近くなってしまい、却って不幸な結果を生んでしまった経緯があります。が、あくまでも両輪のうちの一つという捉え方であれば、有用な視点なのであろう、と。この本のトーンは、まったく楽しさの対極にありますけれど。

*1:先日ヘルスケア関係の楽しい会合がありましたが、そこにある議論で大変面白く聞いていたのが、「文化vs医療」という対立項。言うまでもなく、医療も文化の一つであり、この"vs"はあくまでも、わかりやすさのための表現です。

*2:フィットネスクラブとは医療機関である - ideomics

*3:http://runtogether.jp/index.html

*4:下水道整備や感染源対策など通常の公衆衛生に加えてという意味で

*5:まあ一部の代替医療はきちっと「医療化」すべきと思いますが