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サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

Grazia1月号:ヴァン・クリーフ&アーペルと贈与論?

徐々に薄くなるGraziaに心配しておりますが、しかし、これホント良い雑紙です。女性誌をコンスタントに読む習慣はこれまでなかったですが、Graziaの出来映えはとても良い。とはいえ、(ほとんど買い物をしない)私にヒットするというのは、利益を上げる方向でのマーケティング的にはたぶん失敗なのでしょう。大変申し訳ないです。



しかし今月号の三輪明宏氏と東山氏の対談は、なかなか新鮮でした。ジャニーズと言うと、いかにもアレな感じですが、三輪氏は、ジャニーズは日本の芸能界を変えた歴史的な存在として評価しているようです。

戦後までの芸能界は、まぁ味気ないものだったんです。・・・それを戦後にジャニー喜多川さんが、アメリカをはじめとする世界のエンターテイメントを取り入れ、ダンスも衣裳もステージもトータルで見せて聴かせる表現を始めて、日本に新しい芸能のジャンルを造り出した。それがジャニーズの、あなたたちなんですよ。そして、今度はそのスタイルを、韓国の芸能界が取り入れているわけでしょ。先駆者なのよ。

絶賛ですね。


マリー・アントワネットの特集も。「なぜ、マリー・アントワネットは女心を刺激する?」。ほんと何でなんでしょうね。マリー・アントワネットは歴史上悪者扱いされることが多いですが、女性から見ると、政治の道具=モノ扱いしておいて、自由意志もへったくれもないのに、「責任」だけ追わされるのって何なのよ的な憤りがあるのでしょうか。マリー・アントワネットの扱いって、確かに男尊女卑の極まりというか、2チャンネル的ミソジニーの発露とは読めなくもないですが。まぁまさにソフィア・コッポラ大先生の思いもその辺にあるんでしょうかね。


とはいえ、個人的に一番響いたのが、ヴァン・クリーフ&アーペル社の「レターウッド」シリーズ(別冊11ページ)。レターウッドという「貴重な木」とゴールドチェーンの素敵なネックレス。なんとお値段120万円!ヴァンクリと言えば、白蝶貝に半端ないプレミアムを載せてくる大胆なブランドとして面白く眺めていましたが、木という素材の使用がなかなか興味深いです。


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奇しくも、木という素材をどうプロダクトに活かしていけば良いのだろうという点が気になっていたので、

ウッド・テクノロジー - ideomics
Hacoa 木製カードケース(名刺入れ) - ideomics

これはタイムリーでした。このシリーズの躍進に期待したいと思います。


しかし、シャネルのセラミックリングと言い、これまで使われていなかった素材を使っていくというやはりトップブランドならではの先進性がありますね。


素材を使う時は女性の方が大胆なのかもしれません。男性だと、ナイロンバッグ使う時も、ちょっと革が着いてないとなんとなく不安だったりして、フェリージなんかを買っているわけですが、女性はオールナイロンなプラダを颯爽と使っているわけです。実に頼もしいです。


どうでもいいんですが、男性向けのジュエリー作るんなら、チタン製とかどうなんですかね。マッシブな感じがなかなか素敵だと思うのですが。ティファニー社とかどうでしょうか?ダメならダンヒルでもいいんで。チタン・ジュエリーと言えばここ!みたいなポジショニングとかどうでしょう。


と理解を示したポーズをとってみても、やっぱりヴァンクリが120万円というのが腑に落ちないのは庶民の性なんでしょうか。使用価値、交換価値とは別に、記号価値*1を想定して、ブランドなるものを説明したり、顕示消費として浪費的な消費を説明するというのは一般的かと思いますが、個人的にはこのジュエリーは、それ以外の議論も要請しているような気がいたします。もちろん、ヴァンクリ自体、私のような所得層をターゲットにしたセグメントではないので、単純に金銭感覚が違うだけよと言っても良いのかもしれませんが、ちょっと気になるわけです。こういった価格が市場で成り立つ"メカニズム"という意味で。


女性向けジュエリーマーケットの特殊性というのは、やはり「プレゼント」として想定されているところだと思います。普通の市場だと、売り手と買い手の2プレイヤーだけど、この場合、売り手と買い手と貰い手という3プレイヤーになる*2。なので、ちょっと通常のマーケットの挙動と異なる可能性がありそうです。ジュエリーに関しては、自分で買うということよりも、「男性からプレゼントされる」という部分が女性の世界では重視されるという感触がありますし*3


職場で話しをしていて、「販売価格/妥当と思われる価格」が大きいほど、愛情表現として有効になるのではないか」という仮説が面白く感じました。言ってみれば、株式におけるPER*4のような倍率。いやちょっと違うかな。まあいいや。


某先輩が「文化人類学で言う消尽と似ているよね」と述べられましたが、まさにそんな効果かもしれません。消費が浪費的であればあるほど、その贈与性が高まると同時に、反作用として消費した者の地位が上がるというのは、ヒトに刻まれている性質なのでしょうか。同額の買い物をしたとしても、妥当そうな価格のものより、浪費性が強そうなものの方が、「プレゼントとしての」価値が上がる。これはお金が絡まないプレゼントにも言えて、例えば手作りのプレゼントの価値と近いかも(時間という財の浪費)。突き詰めると、記号価値に還元できるのかもしれませんが、記号価値という「自慢できる」とか「ステータスになる」といった要素とは違う「プレゼントとしての」マーケットの特殊性とも言えるかもしれません。いえ、あくまでも仮説です。だって、この別冊自体、「年に一度の"自分"買い 働く喜びをこの手に!」というタイトルなんですから。大変申し訳ないです。


あるいは、この「販売価格/妥当と思われる価格」が大きくなるほど、「非日常性」が増して、"magical"な感じが出てくるのかもしれません。理性的な価格をある程度突出してしまうと、それは理性の大気圏を突破して、magicの領域になる。ある種のディズニーランド。この非日常性=magicalな感じが増すというメカニズムもあるのかも。というか、正確に言うと、「販売価格/妥当と思われる価格」の大きさを何とか後付けで理由づけるために、「魔力」みたいな概念を持ち出さざるを得ず、それが定着していると、あたかも、(ヴァンクリなどが)魔力を初めから持っていたかのように仮構されていく、と。例えば、「聖水」で病気が治ったとかの話。これも価格の倍率がマジカルさを生んでいる例かも。むしろ、「販売価格/妥当と思われる価格」ってのが、「呪術的力」の"源泉"になるのかしら。まさに錬金術的。


そして、ブランドがブランドたる「呪術的な力/魔力」を得るために、贈与/プレゼントの錬金術をくぐるというのは、一つの手段としてありそうです。まさに「贈与」から「貨幣」が生まれてきたという貨幣論とパラレルだけど。そいや、前にも、ブランドのブランド力は貨幣の信用と同じか否かみたいな話がありましたが、どんな話だったっけか・・・


このあたりの議論って、おそらく経済学やポストモダン/現代思想と言われる分野で相当やられていると思うのですが、クリアに理解してみたいところです。クリアカットなさくっとした説明ってどっかないかなぁ。富裕層のNPOへの寄付とかはある種のポトラッチだし、『贈与論』(+周辺)や『有閑階級の理論』あたりの議論がそのまま援用できるのかもしれないけど、↑の女性へのプレゼントとしての「贈与」*5も含めての贈与経済学、現代のような市場経済・資本主義社会における贈与論(贈与経済学)というのはどういう形になるのでしょう。NPO社会起業家みたいな存在が活性化してくると、寄付市場も活性化すると思うのですが、そこに働く「贈与経済学」のメカニズムはどういったものなんでしょうか。現代のマルセル・モースさんは何て宣っているのでしょうか。




慈善事業に多額の寄付をするのは、どんな人? « クーリエ・ジャポンの現場から(編集部ブログ)
この記事で紹介されている慈善事業を経済学・心理学・社会学の視座から研究している学者さんの話も面白そうですね。


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2013年1月2日追記:

浪費性の高いプレゼントほど贈与性が云々という話は、そのプレゼントを得るために払ってくれる「犠牲」という部分があるのかも。「自分のためにこれだけの犠牲を払ってくれた!」という。サクリファイス。宗教的儀式、神への「贈り物」とサクリファイス。

また、貴金属や貝が貨幣として選ばれた理由として希少性が挙げられるけど、なにげに(主に女性の)「装飾品」としてのオリジンも大きいのかも。「女性の」という部分がある程度妥当だとしたら、『恋愛と贅沢と資本主義 』で指摘されているように、恋愛が資本主義のドライブ因子というだけでなく、「貨幣の発生」自体にも関わっていたりして。まさに資本主義の根幹中の根幹にも作用していた?

*1:一種の使用価値とも言えますが

*2:もちろん保険医療など、3プレイヤーのマーケットは他にも多多あると思いますが

*3:あくまでも個人的な感想です

*4:株価収益率 - Wikipedia

*5:言うまでもなく、純粋な贈与では全くありませんが。