村上隆さんと富野由悠季さんの対談
ガンダムA12年10月号 教えて下さい。富野です 最終回 - シャア専用ブログ@アクシズ
この対談はヤバイっすね。村上さんのリスペクト心みたいなのに、思わず涙が出そうになってしまった*1。村上さんの仕事の解説としても非常に面白い・・・五百羅漢から改めて気になっていたけど、ますます気になってきた。
「西洋の芸術というのは階級闘争そのものです。勿論、浮世絵も階級闘争ではあったけど、常にカウンターなんですよね。下から上に向かって、ふざけるなっていう。」
アートが階級闘争の主要な武器のひとつとだとしたら、アートによって階級をひっくり返せるという可能性もある。なんとなく"現代アート"には、アングロサクソンの階級維持の要素を強く感じてしまって、距離を置いていたけど、この文章読んで、考えが改まった。相手の懐に飛び込んで、わき腹を刺すだけの度量と技術と発想がなかっただけなんだなぁ。と。
昔は、「階級ゲーム」の下剋上ポテンシャルを「機械技術」に見ていたけど、
やはり相手の懐に飛び込んでこととも思える。(とはいえ、「機械技術」フィーチャーの下剋上も理論的にはありなんじゃないかとまだ思っているけど。特に欧州での工学蔑視の歴史なんか考えるに)
「例え宗教が壊滅しても人は物語を消費し続けるしかないし、その時の処方箋のひとつを作りたいという気持ちがあるから、そっちにどんどん走っています。」
「僕が思うに、今って宗教がないでしょ。だからオタクがこんなに必要とされるんですよ。」
宗教の中核のひとつがpassion(受難→情熱)だとしたら、passionの行く先が整流されずに怒涛のごとく特定の対象に流れてしまう現象としての「オタク」は、確かに宗教の文脈から語れるのかも。
宗教・思想・技術/知識(≒情熱・マインドセット/OS・アプリケーション)みたいな3レイヤーでざっくりと物事や人を切る視点がわりと好きだけど、情熱のレイヤーに行くほど、コントロールしづらいが、より人間しかできない。情熱の部分にどうアプローチするか。昔は、情熱は一種の所与と思っていたけど、物語なんかで十分そアプローチされるものかも、と。
「アニメやコミックはその性能、つまり記号性の高さゆえに、宗教や神話的な要素を、それを一切感じさえずに物語の中に放り込むことができる。そういう作品を作りたいんです。」
2次元のアニミズム - ideomics。アニメーション=アニミズム。モノなどの非生物を生物のように愛でる感性って、アニメーションならではの表現になる気がする。記号性に注目すると、さらにそれを一段高次元に持って行けるのか。
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考えてみれば、自分が生物の道に興味持ったのも、パラサイト・イブ(しかもスクエアのゲームの方)やりながら、「ミトコンドリアまじすげぇー!ミトコンドリア共生説*2やべぇー!」というのが始まりだった。N=1でたまたまだと思っていたけど、アニメやゲームの人生に訴えかける力は、一般論として凄いのかも。
原体験が云々といったクリシェはあまり好きじゃないけど、今もレトロトランスポゾンみたいな(元は別な生き物だった)共生因子が好きだしな*3。マーギュリスのミトコンドリア共生説(もはや定説)は今でも大好き。ヒトがいろんな生き物の寄せ集め、いわばキメラ/フランケンシュタイン、という世界観が大好き。これも、パラサイト・イブ(ゲーム)という物語の訴えかける力?