パラリンピックという(産業)国策
http://blogtimes.jp/blog/2012/07/19184.html
この動画は普通に凄いな。パラリンピックの当初の狙いとしては、障害者と呼ばれる人たちにも、オリンピックと同様の機会を、といったフェアネスとかそういった精神から始まっているのだろうけど、選手をサポートする器具の進化を見てると、もはやそういった精神とは別に、産業としての可能性も感じる。
山中俊治さんの『カーボンアスリート』。カーボンファイバーで作った義足だけど、もはや義足という言葉が不自然に思えるくらい、何らかの未来を感じさせる。そろそろ、失った機能を「元に戻す」ことから、「さらに先に行く」というフェイズに移ってきているのだろうか。車椅子とかも、もはや車椅子って言っていいのかってくらい、エッジが効いてる。
こういったパラリンピックの変化を考えると、国として力を入れるのが果たしてオリンピックが良いのか、パラリンピックが良いのか、ちょっと考えても良いのかもしれないと思ったり。というのも、仮にパラリンピックに国策としてのフォーカスを当てるとすると、オリンピックとはまた別のメリットがあると思うから。
大きく分けると、こんな感じ。
①産業政策としての有用性
②外交政策(国のブランディング)としての有用性
③スポーツ振興・健康増進としての有用性
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①産業政策としての有用性
前述の通り、選手をサポートする器具がハイテク化している。パラリンピックではあくまでもスポーツ仕様であるけど、おおむね障害者サポートという文脈は保持されているので、そこから器具の産業的展開みたいなことが期待できるかもしれない。F1はまさにテクノロジーxスポーツの最たる例だけど、F1のようにエンジニアも参加できる「スポーツ」になれば、コミットする人口も広がるだろうし*1。
(伝心堂さん:レース用(マラソン・トラック)車いすより)
特に高齢者は大なり小なり、何らかの「障害」*2を抱えやすく、今後高齢者人口が世界的に増えるとしたら、パラリンピックをプロトタイピングとして介護産業を出口とした産業政策というのは、そこまで無理でもなかったりするのではと思ったり。もともと日本が得意とされている素材や産業機械やロボット技術と組み合わさって、パラリンピックをプロトタイプ的な目標としつつ、介護マーケットでスケールし、障害者援助や介護のマーケットで世界を制するとしたら、なかなか夢がありそう。介護マーケット単独で何か開発っていうと、若い人への夢が十分ではないかもしれないけど、パラリンピックみたいなイベントと組み合わさると、もっとモチベーションも上がるかも。
ここでは介護など、失われたものの補助的な話をしたが、例えばサイボーグ外科 - ideomicsやのように、もっと先の未来に仮に日常的にサイボーグ的なものが入り込んでくるとしたら、そういったサイボーグ産業へと繋がる可能性もあるかもしれない。せっかく銀河鉄道999やアトムを産んだ国なので、ここはちょっと期待したいところ。
パラリンピックに力を入れているってのは、国のブランディング(外交政策)としても有用かと。例えばノルウェーなんかが平和外交へのスポンサーシップを発揮したり、ブータンがGNHという指標でプレゼンスを発揮するなど、国ごとのブランディングがあるけど、(↑の産業政策を視野に入れつつも)パラリンピックへの力点を強調できれば、外向的なブランディングとしても価値がありそう。あんまり他の国が取っているポジショニングではなさそうだし。
③スポーツ振興・健康増進としての有用性
オリンピック関連のサポートになると、いわゆるスポーツエリートにフォーカスした政策になると思うし、もともとスポーツに熱心な人へのフォーカスになると思うが、パラリンピックに力を入れることで、今までスポーツ人口とされづらかった人たちにスポーツ振興できたとしたら、それは国民全体のボトムアップ的な健康増進に資するかもしれない。今までスポーツに縁がなかった人に普及していければ、トータルでの健康増進効果はより高いかも。
もちろん頑張っている人は素敵だし、サッカーでスペイン勝って、自分もかなり喜んだ。だから、できる人はそのままオリンピックを目指して欲しいし、オリンピックを否定したいわけでは全くない。単純に、国としてのバックアップの重きを変えるということ*3。いっそオリンピックの補助を全てパラリンピックに振り替えてみるとかありかな?ひとつの暴論として。