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『フランス父親事情』 浅野 素女

著者紹介で、"パリで暮らすエッセイスト"とあったので、雨宮塔子『雨上がりのパリ』的な展開を恐れつつページをめくった。しかし、開けてびっくり玉手箱。内容は充実してて非常に良いルポタージュ。日本から見ると、プライベートから公的な制度まで男女関連はフランスが進んでいるイメージだが、そのフランスの内情をさらっとした筆致で伝えてくれる。


フランスでもいわゆるイクメン的な男性が多くなった時期があるようで、メンドリパパと呼ばれるらしい。しかし、

子どもにとって母親は二人必要ない。子どもが必要としているのは、母親とはちがう、しかし母親と同じくらい身近な「もうひとりの人間」だ。・・・(中略)・・・21世紀に入ってからも、父親像の模索は続いている。

母親というのは、子どもとなかなか距離が取れないものです。うまく距離を取る手助けをしてあげられるのは、父親しかいない。父親には、やはり父親にしか果たせない役割があると思いますね。

と、母とは違う姿を求める動きも大きいようで、いわゆるイクメンとは違う方向性を模索しているらしい(少なくとも一部は)。個人的にも、イクメンという表現は去勢された感を感じてしまい好きではない語なだけに、これは共感する。


(といいつつ、こんな珍説↓
男のおっぱいは進化中!? 「やがて授乳も夢じゃない」、ポーランド人生物学者が明かす « WIRED.jp
もあるようで、もしかしたらメンドリパパも更なる進化を遂げるかもしれない)


フランスではキリスト教の存在が大きいが、父なる神という表現に代表されるように、神=父という存在。一方日本やその他アニミズム的な感覚が強い場所では、母なる大地や地母神といった、母的なメタファーが多い。父という存在を考えるに、このあたりの指摘もなかなか面白い。父=神と方程式の左右を入れ替えたら、まあなんと重荷であることよ・・・という感じですが。それはさすがに無理!


フランスでは母親手帳ならぬ父親手帳というのが交付されるらしい。法律的な義務・権利から始まり、(フランスらしく)詩や文学の一節まで記載されているものだとか。形式的なものではあるけれど、結構影響は大きそう。これは日本でも割と簡単に導入できるし、なかなか良いのでは。


しかし、父とはなんとコンセプチュアルな存在であるか。赤ん坊が母の「一臓器」として始まり、文字通り母がお腹を炒めるくらい痛めまくって、この上なくバイオロジカルな関わりを母と持ちながら、父とは非常に概念的な存在である。現代の我々は、父が"種"を提供していることを「知っている」が、しかし、それも自然科学などの営みで概念的に理解しているだけである。実感/リアリティは宙吊りにされている。父とは法律上の虚構に過ぎないと述べた作家がいたが、にしても父とは人工的な概念だ。


しかし、逆に言うと、父というものが「人工的=人の作りしもの」であるとしたならば、それは"さらなる"造作・創造の余地がある。あたかも物理的なプロダクトやソフトウェアのように。ソフトウェアのようにver1.0からver2.0, 3.0とアップデートできるということ。あるいは、地域や時代、個人によっても形は異なって然るべき。父とは一種の文化的創造物であり、人の意志の所産である。かもしれない。



PS.

パリテイストの強い著者にはなんとなく苦手意識を持っていたけど、その認識もあらたまる。というのも、やっぱ女性に住みやすそうな土地の印象だから(印象だけだけど)。あと、こういう文章ってやっぱあの地でこそ生まれたものだと思うし。植生や食文化と同様に、テキスト系のプロダクトも風土の影響を受けるのかもしれない。。


おまけ:
パリと言えば、やっぱり・・・
アマゾン検索:雨宮塔子


おまけ2:
アメリカにはどうして「ダディズ・ガール」が多いのか? | 冷泉彰彦 | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト