ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

"こんまりずむ"と"あんち・こんまりずむ"の止揚

先日こんまり(近藤麻理恵『人生がときめく 片づけの魔法』)の話をしてたら、友人からは意外と不評だった。ひとつは建築をやってる友人からの言葉で、「古い発想だよね」というもの。確かに、必要なものだけに合理化していくという発想は、いかにもモダンで、特に建築をやっている人から見ると、20世紀のど真ん中過ぎるのだろう。建築界がだいぶ前から、そういったモダニズムから訣別しようと頑張っている中、あまりに朴訥とした考え方ではある。


"あんち・こんまりずむ"を想定するとしたら、ひとつは、片付けを全くしないで、カオスの中に生きるってこと。とはいえ、モノが見つからないのは困るので、例えばモノ全部にRFIDのような非接触型のチップを埋め込んで、一方、家のあちこちにチップへのセンサーを埋め込む。センサーでチップの場所を捉えて、それをディスプレイなんかで表示させれば、モノが見つからないという自体にはならない。これをiPhoneみたいなポータブルデバイスでできれば、利便性は高そう。


RFIDの技術:要約より)


コルビュジェ2.0 - ideomicsのように、「住宅とは住むためのコンピュータである」というテーゼを実装していく。高いインテリジェンスを持つようになった住宅は、ロボットのように振る舞い、最終的には生き物のように振る舞うようになるだろう。生き物のように振る舞う住宅は、もはや家族の一員として、「住宅とは住むための「機械=生物=家族」である」。


とはいえ、家をパートナーとして捉える視点は、まさに"こんまりずむ"そのものでもある。というのも、こんまり自体は、家への感謝の念といった感情を重視しているから。こんまりの『人生がときめく 片づけの魔法』が凄いところは、片付けの技術的な話から、片付けにまつわる思想や人生哲学が披露され、さらには「家に感謝の気持ちを持つ」「モノへの感謝の気持ちを持つ」といった宗教的な次元まで展開されるところにあるが*1、そんな宗教心は、↑の"あんち・こんまりずむ"(テクノロジーを駆使して片付けをしないスタンス)と止揚しうる。アニミズムのような、でもアニミズムとはちょっと違うような、人工物に対する宗教心。アニミズムxテクノロジー。



(映画"CARS"@Pixerより)
CARSにおいて、車が生き物として扱われているようなイメージで、家も生き物として扱う。


家を生き物=パートナーとして捉えていく視点は、きっとよく見られることだと思うし、多くの人がそう思って生きているのかもしれないけど、文章としてはあまり見かけたことがない。"こんまりずむ"と"あんち・こんまりずむ"で止揚して、「住宅とは住むための「機械=生物=家族」である」といった次元で、家を捉えることができたら、生活の上でも、住宅の設計・構想の上でも、きっと素敵なことだろう。アニミズムxテクノロジー。

*1:「(人間・歴史は)精神の変化に従って、神学(想像的)−形而上学/哲学(理性的・論理的)−科学(観察、実証的)という過程を単線的にたどる」という言葉があるらしいけど、単線的に変遷するのではなくて、この3層(神学・哲学・科学)のレイヤーを重層化して持つってのが大事だと思う。