ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

「決済手段」と家族構造

モノであれ、ヒトであれ、情報であれ、権利であれ、何かを手に入れるための手段を「決済手段」と定義してみる。様々な決済手段があるが、古代では暴力が主軸であり、現代ではお金が主軸である。アイドルやら人気ある人であれば、プレゼントとして頂くという手法もかなり一般的なので、魅力によって注目を浴びることで何かを得るというのも、ひとつの決済手段かもしれない。


児童精神科では、思春期の男女に接するわけだが、社会にうまく適応できなかった彼らが望む結果を手に入れるために用いる手段は、男女で対照的なところが興味深い*1。かなり単純化してに言うなれば、思春期男子は暴力によって解決を図り、思春期女子は同情を引いたり誰かを味方につけることで解決を図る*2。私のような男から見ると、思春期女子の手法は複雑で入り組んでいるように感じるが、「注目」という社交資本を蓄積・利用しようとしていると理解すれば、なんとなくはわかる気がする。


あるいは制裁手段という視点から見てもいいかもしれない。男子のグループでの制裁とは、集団で個人をボコボコにすること、リンチである。女子のグループでの制裁とは、集団で個人を無視すること、ハブである。男子は武力制裁、女子は(経済制裁ならぬ)社交制裁と言えるだろう。社交制裁とは、コミュニケーションと注目・認知のシャットアウトのこと。そもそも暴力の極北たる戦争もディスコミュニケーションから始まるとすれば、制裁の根底はみな同じなのかもしれないけれど。


シェーマにすると、

男子:暴力という決済手段

女子:注目という決済手段


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封建制での決済手段は、まさしく暴力・武力であり、資本主義での決済手段はお金であり、社交主義socialism*3での決済手段が「注目・認知」なるsocial capitalであるとすれば、

1. 封建制=暴力という決済手段=男子の論理
2. 資本主義=お金という決済手段=中性の論理
3. 社交主義socialism=social capitalという決済手段=女子の論理

と無理やり当てはめられるかもしれない*4


女性の社会進出が進むほど、社会構造においても女性の論理が拡大していくならば、「決済手段」も女性化していくと言える。↑の図でいうと、徐々に1から3へ移行していくということ。SNSの拡大の背景に、女性の社会進出があると言ったら、それは言いすぎだろうか。womanomicsという言葉があるが、(世界の半分を占める)女性の社会進出をeconomicsの次元に矮小化してしまうのはもったいない。より深い社会構造に、何らかの変化がもたらされると考えた方が良さそうだ。


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19世紀〜20世紀前半の精神医学よろしく、さらに性別・家族構造と社会構造のアナロジーを進めてみる。「男」「女」がジョブチェンジして、「父」「母」になるとすると、決済手段にも「父の論理」「母の論理」というのが想定されうる。


遠藤周作は、ナザレのイエスによる宗教変革を、「モーゼのもたらした「律法」という父の論理の世界に、「愛」という母の論理を持ち込んだ。」と評していた。これを参照するならば、

父の論理=律法・規範
母の論理=愛

みたいな感じかしら。


暴力という男子の論理から、規範という父の論理への移行は、多くの地域でなされている。もちろん、これは国家という超巨大な「暴力装置」が、法・規範をバックアップしているという構造だ。同様に、これから勃興する女子の論理(社交主義socialism)が広まり、それが徐々に母の論理への「ジョブチェンジ」した暁には、キリスト者が夢見る千年紀が到来するのかもしれない。男子の論理から父の論理への移行のアナロジーで考えるならば、なんらかの超巨大な「社交資本装置」*5によって「愛」がバックアップされるということか。


*6


暴力の論理、資本の論理、社交の論理。リーマン・ブラザースの夢の跡から世界を担っていくのは、リーマン・シスターズに違いない。

*1:決して科学的ではなく、与太話です

*2:どちらのケースも効果的に用できないから、不適応で入院になるわけだけど。

*3:socialism, sociomics - ideomics

*4:かなり無理してます・・・

*5:私自身はクリスチャンではないけど、現在の世界ではキリスト教が最有力というのが客観的な評価だろう。

*6:「愛の反対は憎しみではない。愛の反対は無関心である」 (A・S・ニイル/マザー・テレサ) 注目や認知の欠乏という、貧困。