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ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

コルビュジェ2.0

住宅とは住むための「コンピュータ」である。 - コルビュジェ2.0 (建築をめざしてver2.0より)


「住宅とは住むための機械である」というマニフェストから80年以上が経ち、その間モダニズムを超えようとする運動や概念が提出されてきた。建築に機能主義と機能美といった概念を持ち込んだモダニズムから、ポストモダン脱構築といった思想的な概念へと。

モダニズム以降の思潮は、生活に密着した形での発想というより、概念や哲学のレベルでの発想が目立つ印象。家事や子育てをそんなにはしていない男性がこれまで設計主体のメインだったとすると、家庭生活から遊離した発想をしやすいし、また哲学的で「深遠な」発想が受けてきたということもあったかもしれない。先日引越しのために内覧をしてきたが、デザイナーっぽい「格好いい」マンションの、生活へのイメージのなさはびっくりした(デザインのための犠牲とは異なるレベルで)。


少し哲学や思想・思潮から離れ、生活から建築を想像してみる。アンチテーゼや「深遠さ」は置いておいて。モダニズムの機能主義を更に推し進め、(コルビュジェとは異なる)現代の生活を見直してみるとすると。たとえば住宅。住宅は様々な形があるので、一概には言えないけれど、子供を持つ家庭を想定する。ひとつには、生活の便利さ、そしてさらには、家族内のコミュニケーションのファシリテーションが大事になってきそう。


生活の便利さという意味では、

慶應義塾大学SFC研究所|ラボラトリ|ユビキタスコンピューティング&コミュニケーション・ラボ

に載っているような構想で、家電や住宅装置のコンピュータ化・ネットワーク化が一番想像しやすい。いわゆるユビキタスコンピュータ的な。

http://www.kri.sfc.keio.ac.jp/ja/lab/ucc_figures/Home.jpg
↑こちらの図のようなイメージ。同様の発想は他にも色々なところでも。


家自体をコンピュータ化する。家自体を電脳化。もし家自体をコンピュータとして捉えるならば、そのためのOSの開発というのは、現在のモバイル志向という流行から外れてひとつのブルーオーシャンかもしれない。日本のメーカーはまだかろうじて家電に強みがありそうだし(?)、住宅設備や自動車(これらも大きな意味で家電。そしてある意味、家自体も家電)にも強みがありそうなので、日本のメーカーのひとつの方向性かもしれない。完全に素人考えだけど。


生活の便利さを上げるだけでなく、さらに期待したいのはファミリー内でのコミュニケーションを生む方法*1。子供とのコミュニケーションはこれまでも家族での課題であったし、共働きが増えると更に課題として大きくなっていくと思う。思春期の難しさは言うに及ばず。日ごろ、養育の不十分さから情緒不安定となった児童に触れているので、特にリアリティが生じているのかもしれない。


Wiiは画期的なひとつの方法。他にもちょっと考えてみる。例えば、家電の制御をベースにして、黒板や伝言板・掲示板を電脳化したイメージで、TV・電話と一体化した"iBoard"(仮名)なるものを考えてみる。TVにせよ、伝言板にせよ、家庭内のコミュニケーションをgenerateするものとしてイメージしてみる(TVは現状違うけど)。もちろん黒板のごとく書き込める。そこでTV電話したり、画像や動画を共有・アーカイブしたり(ライフログならぬファミリーログ)、伝言したり、教育したり。家電の制御板と考えると、住宅の「顔」とも言える。住宅=ファミリーコンピュータ


家=電脳の繭。電脳に満たされていくような繭のようなイメージを空想してみる。そして何らかのインターフェイス(例えば上記のiBoardとか)を通して、家と人とのコミュニケーション。ルンバを擬人化=animateして楽しむ感性があるならば、電脳化され刺激に反応するような「家」も擬人化=animateされた存在になる。家に命を吹き込む。「家」自体が生きているものとして、家族の一員のような存在になる。


となると、

住宅とは住むための「機械=生物=家族」である。

と言っても良いかもしれない。もはやコンピュータ(計算機械)という名前はふさわしくないかもしれない。もっとふさわしい名前が欲しくなる。なんと名づけたら良いだろう。




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2013年10月22日表現を少々改変
自宅に「ホワイトボード」を置くのって意外と良いかも - M3Q - 女性のためのキュレーションメディア
ホワイトボードの活用という話が面白かった。