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ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

文学=プログラミングとするならば

この前書店に行ったら、ヘッブ*1の論考が岩波文庫になっていて驚いた。岩波文庫は、アインシュタインはじめ科学論文も収録の対象にしているけど、まさかこの人たちまで収録するとは。あらゆるテキストを対象にしようという意欲を感じる。


文学は英語でliteratureだが、直訳するならば、literature=文献。文献(特にテキスト)に関する学=文献学ということになる。最近はテキスト情報は、主に電子化された状態にあることが多いので、古典的には本の読解が中心であった文献学も、電子データとなったテキストを扱うようになる。当然、blog, twitterといったものも扱うことになる。


狭義の文学を文献読解=文献学とし、ITが当初テキストや数字データの管理をメインに発生したと考えるならば、文献学:IT=理学:工学という比例式がなりたつかもしれない。文献学=テキストの読解、IT=テキストの操作、理学=現象の読解、工学=現象の操作という意味において。


そして、創作=テキスト生成と考え、創作=テキスト生成をまた別に狭義の文学とするなら、文学とは自然言語によるプログラミングと言える。前述の比例式で言うと、「文献学」:「IT=文学」=「理学」:「工学」。そもそも文章を書くモチベーションがメッセージの伝達であり、更に突っ込んで相手の変容を意図するものであれば、文学とは、脳みそに働きかける装置。つまり脳を操作するプログラミング、コーディング。とすれば、文学=思想工学・感情工学*2。思想や感情を操作するというと、いかにも気持ち悪い感じだけど、最近の原子力関係の本はわかりやすく思想工学・感情工学的な様相だ。


ハッカーと画家」(ポール・グレアム著)では、プログラミング=作品と考え、プログラマーの作家性をルネサンスにおける画家たちの作家性になぞらえていた。文学=プログラムとすれば、本やウェブといった媒体は、プログラムに対するOSやハードウェアに相当することになるだろうか。


もし文学=プログラミングとしたら、情報工学の世界で言われているテクニックが応用できるかも。例えば、random-generated poetry。アルゴリズムによる詩生成。遺伝的アルゴリズムを活かした詩作論(ランダムに生成し選定するを繰り返す)。引用とは文章のモジュール化であり、プログラミングにおけるモジュール・パッケージの使用と同じように考えられるか。ジョイスなど現代文学系の手法とまとめて、アリストテレスなどの古典的な詩論とは違う「詩論」が生まれそう。


ソーカル事件*3は、ソーカルによる現代思想への批判という形で解釈されているが、これもrandom-generated poetryとすれば、発展の余地があるかもしれない。例えば、ソーカルのようにランダムに言葉の羅列を生成し、そこから面白そうな表現をピックアップ、そしてその表現を元に内容を考える(想像/捏造する)というリバースエンジニアリング。コンピュータによりランダムに生成された語句や概念から、新しい内容を創造/想像してみること。おそらく現代思想系の人の中には結構多いと思うし、シュールレアリズムの自動筆記もそうかな。


テキストの媒体=OS/ハードウェアとすれば、媒体による内容の規定という概念もわかりやすい。無文字→写本→印刷術→新聞→コンピュータ→インターネットというようにテキスト情報の媒体(乗り物)が変遷してきたが、媒体ごとに「文学/プログラム」が生まれてきた*4。書き文字が希少な時代のホメロス平家物語から、印刷術による大衆小説そして携帯小説、ブログへと。例えば、新書。新書という独特な形式があることで、専門家に啓蒙への意志を生ませる。フォーマットが内容を誘発・規定する。新書という形式は日本独自と思われるが、この新書による啓蒙=脳のプログラミングが、平均的教育レベルの高さに貢献してきたかもしれない*5


書き手にとっても、媒体は思考に影響を与える。例えば、前述の新書という形式は書き手に啓蒙の意志を生む。電子化されたテキストの操作なんて特に影響が強い。カット&ペーストでテキストが移動しやすくなり、文章がモジュール化し、よりテキスト生成がプログラム的になる。


ウェブというリンク構造が当たり前になると、本というリニア構造を前提としていた小説よりも、むしろテーブルトークRPGのような形が「自然な」物語になるのかもしれない。電子書籍が普及すれば、恋愛シミュレーションこそが「純文学」となるのかも。星新一さんのショートショートがとても好きなので、これがブログのようなリンク構造で話同士がつながっていき大きな総体となるようなものを考えてみたくなる。考えてみれば、リニアな小説よりもこっちの方が「現実」に近い*6。映画の群像劇のように。


個人的には、ブログという「4次元のリンク構造」とも言える形式に感銘を受けている。インターネットをミニチュアにしたようなリンク構造に、+時系列。ブレインマップが単語レベルで2次元のリンク構造を作るとしたら、ブログなるコンテンツマネジメントシステムは文章レベルで3次元のリンク構造を作り、さらに時系列が加わる。twitterを始めて、思考の形が変わったようにも感じる。


その後も色々な「書式」ができているが、新しい思考を誘発するために、また別のどんな「書式」がありうるだろうか。プログラミングに対してOSの設計がメタレベルにあるとしたら、「媒体」の構想は、文学=プログラミングに対する「メタ文学」だ。媒体が書き手の思考のあり方や、内容が規定されるとしたら、望む内容や思考のあり方から逆算して「媒体=メタ文学」の構想をすることもできまいか。

*1:ドナルド・ヘッブ - Wikipedia

*2:モチベーションエンジニアリングなる言葉もある。世界初「モチベーションエンジニアリング」による企業改革コンサルティング | Link and Motivation Inc. 株式会社リンクアンドモチベーション参照。

*3:ソーカル事件 - Wikipedia

*4:知はいかにして「再発明」されたか/イアン・F・マクニーリー&ライザ・ウルヴァートン: DESIGN IT! w/LOVEなども参照

*5:1960年前後の岩波新書はほんとよくできていて、一時期収集していた。当時の日本に咲いた華。

*6:「文学のレッスン」 丸谷才一 - ideomicsで触れた新約聖書の「複数性」を表現するにしても、ブログのようなリンク構造はやりやすいかもしれない。