ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

SCSM - Social Capital Stock Market

MBA = liberal arts ? - ideomicsの通り、学校の意義がface-to-face interactionとすれば、いかに交流の場をつくるか、いかに人と人とをつなげていくかが「学校の仕事」になる。学校=人脈製造機、議論場というように捉えて。ノンスモーカーなのでいつも喫煙所で見知らぬ人たちがだべっているのを羨ましく思っているが、たとえば、喫煙所のように見知らぬ人がいきなり話しを始められる場所(装置)も欲しいところ。東大であれば、駒場の旧生協前の喫煙エリアみたいな。


H-Yamaguchi.net: 暴論:国民皆教制を導入すべきである
といったエントリがあったが、これはかなり面白いアイデアだ。学校を、漁師のおっちゃんから成城マダムまで色んな人が行きかうようなバザールのような場へと。小中学校も子供だけでなく、地域の大人も行き交うコミュニケーションのハブへ。暴論ではあるが、ブラッシュアップに値するアイデアな気がする。


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学校とはソーシャルキャピタルの蓄積する市場(いちば)=Social Capital Stock Market(あるいは蓄積を交換する場としてのSocial Capital Stock Exchange)であると定義してみる。


これからは、高等教育「第4世代の大学」論 - ideomicsのように討議や集まりを中心にするべきかもしれない。知識の習得のみであれば、eラーニングとかもっと効率良いものがあるだろうし。となると教員の意味合いも変わる。そういった場における教員とは、「知識の銀行家=ナレッジバンカー」。みんなが知識を出し入れする銀行みたいな存在。貨幣経済学的なアイデアの援用で、知識の経済学の体系化(情報公開の原理、ネットワーク原理、名誉の原理など)も試みたい。


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教育=teaching(教えること)+education(育むこと、引き出すこと)と分解できる。技術などはteachingで、道徳やモチベーションはeducation。教育と一口に言っても、どっちにフォーカスするかを考える必要がある。motivationさえあればteachingは学校以外が効率的。学校と言われる存在はeducationにフォーカスしたい。


教育がteachingとeducationに分化し、様々な機関が関わるようになれば、教育の自由化や脱学校の社会というのが成り立つかもしれない。そして、教職者もよりプロフェッショナリティの高い仕事となるかもしれない。幼保一元化みたいに、大学、専門学校、小中学校、塾、MBAもフラットに並べてアレンジできるかもしれない。教育のモジュール化が進めば、より効率的かつ多様に人材を生み出しうる。と考えてみる。