ideomics

オブジェクト思考ブロギング

MBA = liberal arts ?

こんな議論があった。

・医学部はいらない(再論)
http://agora-web.jp/archives/1355133.html

・教育と学校の本質 医学部はいらないは間違いだ
http://agora-web.jp/archives/1355243.html


今の医学教育が良いとも思わないが、反論における「学校の本質」は非常にその通りだと思う。これ読んで思ったのは、MBAって「教育」という形・方法論を考える雛形になるなーということ。ビジネスというコンテンツは捨象した上で、メソッドとかやり方が。


ビジネスという実体のよくわからないものを教えるためか、色んな工夫をせざるをえない。翻って、医学や物理学などソリッドな知識がある領域は、知識が確立している分、「教育の形」をあまり考える必要がなく、とりあえず伝えるというものになりやすい。先人の築いた知識に乗っていれば、それなりに回せていける。


MBAをビジネスの文脈だけに置いておくのは、2つの意味でもったいない。1つは、↑のように教育の形を考える上で参考になるから。討議でもブレストでもワークショップでもソクラティックメソッドでも何でもいいけど、face-to-face interactionが大事で、それが学校の意義だとしたら、MBAの形は「教育学」として役に立ちそう。


もう1つは、それに付随する形でコミュニケーションの訓練がなされうること。プレゼンテーションにせよディスカッションにせよリーダーシップにせよITの知識にせよ、現代の一般教養と言えるものだけど、なかなか訓練する場所はない。中世ヨーロッパにおける自由七科・哲学といったliberal arts*1にならって、こういったスキルを現代の一般教養<liberal arts>として再定義したいところ。


MBAはアメリカという国/文化が生み出した数少ない教育機関の形だろうから、アメリカの世紀の所産として再定義できるかもしれない。かつて某友人が、HBS(Havard Business School)に関して「アメリカならではのものを生み出そうとする力を建物から感じた」と評していたが*2、建築というハードウェアだけでなく、ソフトウェアも更新できるといい。世界の中心がヨーロッパからアメリカに移るにつれて、哲学的な人生論はポップな自己啓発に移行し、liberal artsも「人文学的な教養」から「ビジネス的なコミュニケーションスキル」に移行する。と考えてみる。



ソリッドな知識はそれはそれで重要だけど、その運用の仕方の訓練はなかなか難しい。今の初等・中等教育教養学部では大事なものが欠けていて、それを補完しうるのが、MBA的なものかもしれないと思ったり(行ったことないからわからんけど)。そうだとしたら、businessという単語は抜いて、もっとliberal artsの文脈にのせた方がいいのかもしれない。デルタスタジオ(delta studio|デルタスタジオ - what is your delta?)は幼児〜高校生向けにも活動しているようだけど、そういう発想なのかな?

*1:リベラル・アーツ - Wikipedia

*2:そういった感覚を誘発したHBSの建築に関しては今後考えてみたいところ。写真を見る感じでは非常にRomanな感じだが。ヴィラ的な雰囲気といい。パラーディオ的?