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サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

「文学のレッスン」 丸谷才一

小説家・批評家丸谷才一が、小説に限らず、エッセイから戯曲、詩歌、ルポまで語る。本書はいわゆる文学といわれるジャンルでほぼ閉じているが、文学=literature=文献として、あらゆる「文献」について語ろうとする広がりを想像して興味深かった。


特に興味深かったのが、新約聖書の語りの革命性に触れた部分。外国の学者の引用であるが、「ペトロニウスにせよタキトゥスにせよ、リアリズムといっても叙述は基本的に上流階級の眼差しで上流階級のために描かれたものだった。民衆の描写にせよ「外部」の人間の眼差しであった。新約聖書では描写は民衆の内部の者によってなされている。そしてそれは民衆のために書かれている。これは、古代のリアリズムから別段階のリアリズムへの変化であり、描写のあり方が革命的に改まった世界史的事件だった。」(要旨)というところ。


(エリート主義vs民衆主義とまとめてしまうとこぼれ落ちるものもたくさんあるだろうが、描写・叙述は読者を想定して行うものであり、これは愛しのバロック、スペイン階段 - ideomicsの波とも関連してくるが、ひとつの繰り返される思潮に近いものがある。少なくともフランスの近代史なんか。かなり無理やり重ねれば、古典主義/エリート的、バロック/ロマン/民衆的というのはあるかもしれない。または帝国とマルチチュードの議論に重ねてみたり。)



あと新約聖書の面白さとして、「複数の視点からの描写」というのがある。具体的には、マルコ、ルカ、マタイ、ヨハネの4視点。前3者はほとんど同じかもだけど。これは描写として、期せずしてなかなか斬新な手法で、もっと頻用されてもいい手法な気が。つまりあるエピソードを多視点から描写して並列すると。黒澤明羅生門や冷静と情熱の間もだけど、特別な手法ではなく一般化してもいい気がする。というのも、眼差しの複数性、多視点性というのは今後ますます重要になり、かつ人文学に期待されることだから*1。そういう意味でむしろスタンダードとなって欲しい。



本書では触れていないが、プラトン/ソクラテスの語りの描写もこういった描写のあり方や語りへの分析があると面白そう。いわゆる弁証法という形式だけでなく、更なる踏み込みがありうるかしら。文学としてのプラトン/ソクラテス


あと面白かったのが、イエズス会バロック劇が日本に入ってきて、それが出雲の阿国に影響を与え、歌舞伎が産まれたという説。歌舞伎というと日本のバロック的なものの代表格だけど、納得してしまうものがある。もしつながりがあるなら、花道とかを欧米の演劇論と同じ平面で語るのもできるのかね。よく知らんけど。


文学=文献学として、あらゆるテキストに対して分析しようとする試みは、テキストの範囲が広がりかつ形式的にも新しいものが多産なIT時代にあって一層興味深い。「文学」という埃をかぶりかねない営みをいかに再構成しうるかは考えてみたいところ。



*1:特に脱構築やらフェミニズムやらカルチュラルスタディーズなどを経由した人文学に