ideomics

オブジェクト思考ブロギング

政府批判ととりとめもない雑感

政府も迷走している感あるし、大多数の関心が薄れるにつれ、よりしっかりと監視する必要は増していることは確か。そもそも震災以前からの話だけど、突っ込みどころは満載だろう。しかし、単に政府批判をして他責・他罰で済まさず、ベースとなる社会の改善も目指したい。自戒を込めて、そして再構築への足がかりをつかむための市民・社会への雑感。


「英雄のいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ」 ベルトルト・ブレヒトガリレイの生涯」より



・マスメディアの影響がダイレクトすぎる。なんだかんだいってマスメディアの影響が大きく、意見が均一化したように見えてしまう印象。マスメディアの多様化あるいは、帰属する「中間団体」*1があった方が良さそうだが。


・TV(メディア)社会の副作用:TVを見る=距離を置いて安全圏から眺める。観客(≠当事者)になってしまう。知ったつもりになって耳年増になる。サッカー見て選手を批判しているくらいならいいけど、政治にも同様だといまいちか。これは解決しがたい気も。


・溢れる消費者マインド。市民=消費者であり、市民≠参加者・責任者。マスがより政治に対して主体性を持つにはどうしたら良いだろう。日本の過度な接客や「客=神様」という発想の副作用?


・ママに頼りすぎな子供時代:男女問わず、(自分を含め)何でもしてくれるママに甘えて育っている多くの幼児期。誰かがどうにかしてくれるというマインドセットは強い。あんまり母が色々世話を焼きすぎるのは良くないかもしれない。バブー。


・なんだかんだいって民主主義の歴史は浅いし、外来種。自ら勝ち取ったものとは言いがたく、制度としてはあるけど、文化としてはなかなか根付いていないという印象。おそらくこれは、欧米以外はほとんど共通だと思うけど。あんまり「民主主義」って題目にこだわりすぎても現実と乖離するおそれがが強い。そんなに超良いものじゃないかもね*2。かつてドラッカーが「日本は官僚以外に政策策定の主体がいない。だから官僚を排すれば混乱が生まれるだけ。政治主導は難しい」と述べていたが、その通りになってしまったか。


菅首相への個人批判=「個人」に期待している=カリスマを期待することの裏返し。システムや全体を考えずに特定の誰かを批判・賞賛することで事足れりとするならば、ヒトラーを支持したワイマール共和国の「民主的な」「大衆」と変わらない。と危惧している。全体主義は、成熟していない民主主義を土壌に、政治への絶望の中でカリスマを求める大衆から生み出される。と思われる。


・リーダーシップの醸成:確かにリーダーシップの欠乏は課題。やはり小規模な自治体でのリーダーシップから始め、そこから規模をアップするのが良いのかも。今の議員内閣制では無理だけど。アメリカの大統領は知事経由がわりと多い印象だが。「中間団体」など準政治的な存在がもっとあって、その中で政治的なリーダーシップが広く醸成されるとなお良さそう。

*1:これは個人的には大きなテーマ。ドラッカーの継承 - ideomicsなど参照。もっと良く考えたいところ。

*2:「民主主義は最悪の政治形態であると言える。ただし、これまで試されてきたいかなる政治制度を除けば。」チャーチル