ideomics

オブジェクト思考ブロギング

オルテガ vs リップマン

20世紀に入り、「大衆の時代」になるにつれ、知識層から様々な反応が起きたが、このオルテガ「大衆の反逆」(1930年)とリップマン「世論」(1922年)のコントラストはなかなか興味深い。


スペインに生まれ、ジャーナリストの父を持つ哲学者オルテガ*1は、大衆が「義務を伴わない権利」をふりかざし、自らの無知に安住し、場合によっては、無知であることをいわば権利のように振りかざすことを批判し、また「統治」に対して責任を持つ人材が少なくなることを嘆いた。そして、(統治者としての意識を持つ)「貴族」的な態度を呼びかけた。


アメリカに生まれ、ハーバード卒業後、様々なメディアで自らジャーナリストとして働いたリップマン*2は、大衆心理への洞察を展開し、報道の重要性、報道のあり方を説いた。その後アメリカはF.L.アレン*3ハルバースタム*4といったジャーナリズムの巨星を生み出し、ニューヨークのロックフェラーセンターには、イサムノグチによるAP通信レリーフが飾られている。そしてアメリカの最も権威ある文学賞であるピュリッツァー賞は、基本的にジャーナリズムの賞である。


いずれも妥当な反応であるが、古き佳きヨーロッパの貴族主義・エリート主義的な方向を選ぶか、大衆民主主義を前提にして、メディアを通した民主主義の成熟を目指すか。もちろん、2択でもないし、正解もない。現在のアメリカを見るに、フォックスニュースなど、かなり偏った報道もあり、いちがいに何が成功しているかも言えない。しかし、社会設計にあたって、この「大衆性」というものへの対処を、どういった形で行うかは、何かしら決めていかないといけないだろう。


金融危機を予見し話題になったエマニュエル・トッド(フランス)は、「デモクラシー以後」にて、「高等教育の発展が、教育の格差を生み出し、統治するもの・されるものへと2分していく。そして民主主義は危機にさらされる。」と説いている。トッドは、初等教育識字率を上昇させ、民主主義を醸成すると言っており、最近の中東革命も、識字率の上昇から以前から予想しており、相当な慧眼を持っている人*5


さて、我々はどうしたものやら。