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オブジェクト思考ブロギング

マスメディアの権利と義務

社会的に重要で、かつシンプルな市場原理に馴染まない仕事というのはそれなりある。そういった仕事は、公務員という形だったり、法的な資格職であったりする。これに該当するように思われるが、現時点では働き手個人への法的な背景が乏しいと思われる仕事が2つある。ひとつは金融で、もうひとつはマスメディア。


どちらも社会・顧客(市民)に与える影響が大きいと思われるが、現時点では、その仕事に就くのに何か実質的な法的資格があるわけでもないし*1、(会社ではなく)働き手個人個人に対する法的・行政的なカバーはされにくい。また、どちらも情報の非対称性は解決され難く、かつ製品ベースの仕事ではないので、客観的な判定もしにくい。


銀行であれば、非常時の救済措置という暗黙の権利があるし、TVであれば「電波」という強力な利権がある。権利と義務はバランスするべきという公理を信じるならば、これらの権利に相当する何かが担保されなくてはならない。金融に関しても考えてみたい課題ではあるけれど、まずはマスメディア。もちろん、素晴らしい仕事をされているマスメディア関係者は多いだろうし、個人的な知り合いも敬愛する人が多いので、これは特定の何かに対する批判ではなく、agenda setteing。


特に電波を利用しているTVに関しては、何が義務として要請されるか考える必要がある*2。でなければ、電波は特定の業者に卸すのではなく、競売にかけて、国家財政に資するのが最も妥当だろう*3。週刊誌ならば、市場で選択淘汰されていけばいい。新聞も似たようなもの。ただ、取材というのはかなり侵襲的な行為なので、この行為に対する権利・義務というのは出版・電波問わず考える必要があるかもしれない。多くのメディア人は取材を所与の権利と思っているのかもしれないが、もしそうであればそれにバランスする義務が必要と思われる。国民(視聴者)を代表してといったフレーズがあるが、選挙で選ばれているわけではない。


また記者クラブというのもひとつの利権。こちらは徐々に解体されるのかもしれないし、行政側の都合の部分もあるだろうから、一概には論じられないかもしれない。電波に比べればかなりマイルドな話だが、こちらも課題か。メディアというのは意識しなければ透明な存在なので、見えにくく、(我々自身と同様に)自分に都合が悪い部分はオープンにするわけではないので、メディアの問題点というのは更に見えにくい。


「情報は民主主義の通貨である」というジェファーソンの言葉があるが、民主主義を本気で機能・存続させたいと思うならば、ジャーナリズム・情報発信機能についてはよく考える必要がある。ウェブの興隆から、TV新聞不要論があるが、依然として大きな力を持っている。その巨大な権力を裏打ちする何かが必要と思われる。例えば、選挙で選ばれているとか*4、情報処理能力・提示能力が秀でているとか(ある程度の知識・思考力の試す試験の導入やジャーナリズムスクールなどか)。もちろん、一般的な意味での言論の自由は誰にでもあるわけで、↑の試論では、有資格者と無資格者で権利について差を設けるということになる。

*1:証券外務員とかあるけど、もう少し実質的な意味で。

*2:例えばこんな話も:ゲンダイネット

*3:個人的には、TVで使っている周波数を一部インターネットの無線ブロードバンドに使いたいと思うのだが、可能なのかな

*4:a new kind of 参議院 - ideomics参照