ideomics

オブジェクト思考ブロギング

雑感②

震災直後からしばらく経ち、色々な言説が溢れている。東電はじめ責任ある主体があることは確かだし、必ずしも正しい対応ではなかったのかもしれない*1。しかし、原発が立っている地盤とは、福島や浜岡の更に深くにある我々の欲望、より便利で贅沢な生活をしたいという欲望である。東海村の事件後も我々は原発を使い続けてきたし、ある種原発のおかげで便利で楽しい生活できていた部分は否めない。原発は我々皆で建ててきた。


東京原発という映画がある。役所広司扮する都知事が、東京に原発を作るといって物議を醸すというストーリーで、原発の是非を投げかける社会派フィクションである。今後、原発に関して議論が紛糾すること間違いないが、東京に建てうるかという可能性は(少なくとも理念上の)大事な論点になるだろう。


悲惨さや批判で渦巻く現在だが、このような悲惨な災害だからこそ、悲しみ怒るだけでなく、未来のために、起こったことをどう活かしていくか、ここから次の社会をどう作っていくかという話も今後必要になる。そして、我々自身の欲望を見直していくことも。もちろんしばらくは被災者支援のステージであり、まだ時期尚早。被災者は寒さに震えているし、地震も続いている。原発も終息していない。


昔ある集まりで、愛・信頼・希望のどれが一番人生で大事かという話があった。日本人はきっと信頼で、アメリカ人なら希望、ラテン系なら愛って言いそうだよねという話をしていた。どれも大切なことではある。ニュースを見るに、愛は満ちているようだ。あとは信頼。そして、これから大事になるのは、希望。この悲惨な災害にも関らず、いやむしろ悲惨な災害があったからこそ信頼と希望が必要だ。信頼と希望をもたらすものは意志の力。感情に押し流され、怒りや悲しみや不安や非難で渦巻く中、理性に基づいた意志の力を持つこと。


第二次世界大戦の後、一丸となって、世界で稀に見る復興を遂げた歴史を持つ国にいる。代替エネルギーに更なる人材と知恵が周り、これまでの不可能が可能になるかもしれない。危機管理システムがより強固になり、強固な通信システムが開発されるかもしれない。停電をきっかけとした省エネルギーで、世界をダントツにリードする環境先進国になるかもしれない。


原発に向かう対策班の方の「(まだ被爆許容量を越えていないので)また現場に向かいたい」という言葉があった。被災地への救援活動を行っていた第一陣も帰宅してきている。彼ら全員の凱旋が待ち遠しい。火急の出来事が終息したならば、現場の勇者をたたえる言葉、被災者のdecencyを称える言葉から、我々の次の物語をつむぎたい。


*1:実際東電東海村でも情報隠蔽などあり、疑われる部分はやむないし、今回の対応も今後シビアな批判的検証がされていくであろう。しかし、今現場にいる人の成すことを批判しても致し方ない。