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オブジェクト思考ブロギング

丸の内のエドワール・マネ

三菱一号館美術館という名の施設がオープンし、その第1号イベントとして、マネ展が企画された。丸の内は現在東京で最も気持ちのいい場所のひとつだと思われるが、行く度に魅力が増しているように感じる。


今回は、昔のレンガ造りの洋風建築を復古した建物を美術館として使っている。マネというチョイスが、丸の内の志向する方向と、非常にマッチしていて、オープニングとして大変素晴らしかった。



仲通の店舗並びや彫刻、街路樹といった19世紀のテイストや、石造り風の丸ビルと鉄造り風の新丸ビルコントラストが醸す、石の時代から鉄の時代への移行の表現など、丸の内が持とうとしている「近代/モデルニテ」の雰囲気に合う絵画・・・マネの絵画から溢れるそれとまさにぴったりだ。



マネを一瞥したとき、明らかにそれまでのアカデミズムな古典的絵画と断絶を感じ、近代/モデルニテという感覚にどっと襲われるものの、何がどう違うかは、専門家の助けがないとわかりにくい。最もわかりやすいのは、主題・・・歴史や宗教の題材ではなく、身近な人や市井の風俗を題材と使っていること・・・加えて、描き方・・・いわゆる奥行きのある1点透視法ではなく、ベタッと平坦的な面を構成すること・・・だが、ミシェル・フーコーの『マネの絵画』(筑摩書房)は、もう一歩論を進めてくれる*1



曰く、マネとは、"モダンの創始"(印象派の創始ではなく、20世紀絵画の)であり、重要な特徴としては、以下の3点。

①オブジェとしての絵画
それまでの絵画は、純粋なイメージとして、キャンバスという物質はないものとして扱っていたが、彼はキャンバスの物質的性質を用いる。例えば、筆致の跡や画材のこんもりとした存在感。

②絵画内部の光(絵=表象としての光)ではなく、外部からの光(現実の光)を所与とする
それまでの絵画は、光を絵の中に描きこんだり、光の方向を決めていたが、彼は、絵が飾られるその場所での自然光を、あらかじめあるものとして考える。

③鑑賞者の位置(多視点)
限られた絵だけだが、いくつかの視点が混じって描かれているものがある。これはその後の20世紀的な手法を先どっている。


特に①②は、表象(イメージ、概念)が純粋に形而上なものではありえなく、どうしても物質性を持ってしまうという、まさに近代的な考え方を象徴しているように思える。いわば(近代以前まで価値を持っていた)形而上学の地上落下。この形而上学の地上落下こそ、最も近代的な感覚と言っていいのかもしれない。


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ともあれ、丸の内=近代/モデルニテ=マネの絵画の組み合わせは、相当な満足感と充実感を与えてくれた。ストレートながらも、横綱相撲。まさに三菱がそうであって欲しい姿である。


現代において「三菱」という会社は、ともすればアナクロで、時代遅れに見なされる面もあるけれ、逆に言えば、「古き佳き」あるいは「伝統的な」といって存在になりつつある。そんなイメージを上手く利用しているのが、丸の内の再開発の方向性だと思うし、横綱相撲として、安心感と信頼感を持てる。企業としての方向性にも、そのコンセプトが資するならば、単なる文化事業を超えて、一層に興味深い。

*1:この方は絵画から、時代の断絶や移行を読み取るのが得意らしく、ベラスケスのラス・メニーナスの「解読」はさらにエキサイティング