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オブジェクト思考ブロギング

車のスケール、人のスケール

自動車が街に入り込むと、どうしても自動車のスケールで様々なものが構成されていき、人のスケールからすると粗大で荒っぽく、インパクト強すぎ目立ちすぎになる。自動車で走っているところから見る看板を冷静に眺めてみると、どう考えても巨人用だ。こういった看板と、歩いている人が見るための看板が並んでいると、明らかに前者が周りを飲み込んでしまう。


最早慣れっこになってしまった、この「車のスケール」と「人のスケール」の混在は、街並みをなんとなく汚いものにしてしまう原因の大きな部分を占めると思う。逆に、スケールが揃っていると、内容云々前に、それなりにきちっと見える。昔の下町なんて、ひとつひとつのパーツは汚らしいのに全体として綺麗に見えるのは、スケールが揃っているからだろう。


旧市街は基本的に徒歩人をベースに設計されているから、車のスケールはそぐわない。ヨーロッパの旧市街の中には、車が入れない(物理的にも法的にも)ところがあるらしいけれど、やはりそれが街を生き永らえるコツなのかもしれない。便利さはある程度犠牲になるから、なかなか難しいけれど。


去年まで静岡県にいたが、静岡県で人口1,2位を争う静岡市浜松市は、このスケールという意味で対照的で面白かった。静岡市は、家康の城が昔あったこともあって、歴史がある程度ある。そのせいかどうかはわからないが、駅前の商店街が人のスケールで残っていて、車が緩やかに締め出されている区域がある。商店街には活気があって、特に何ともない街並みだけど、スケールが統一されているから小綺麗だ。


一方の浜松はホンダやスズキ、ヤマハの街だけあって、モータリゼーション=郊外化が進んでおり、進みすぎて街の中心部まで侵入している。駅を降りると、すぐに大きな道に囲まれ、駅前なるものは発達していない。こちらは車のスケールがかなり強い。美しくはないけれど、効率性は感じる。おそらく便は良いのだろう。


どちらも魅力があるのだろうけど、横浜の中心地が目指す方向は明らかであると思う。もちろん、郊外=居住地としての役割も大切であるが。まぁ欲を言えば、東京都内の幾つかの地域もそうなって欲しいのだけれど。