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オブジェクト思考ブロギング

あなたにとって時計とは何ですか?

と先日聞かれた時、時計とはポートレートである、と反射的に感じた。とはいえ、いきなり言っても意味不明なので、その時はお茶を濁しておいたけど。(どうやら巷では恋愛観を表す質問だそうな)



特にある種の時計は、時代の空気を運んでくれるような気がする。例えば、昔の写真家が残してくれた風俗写真のように。触覚を添えてさらに身近に。


例えば19世紀の香り。貴金属で構成されたケースに革のベルト。欧州と英国が覇を唱えていた時代、英雄や天才といった概念が無垢に受け入れられた貴族的な時代に想像的なノスタルジアを馳せる。まだエリートとかノブレス・オブリージュとかいった言葉が美しく聞こえていた時代だろうか。アインシュタインチャイコフスキーが使用したメーカーとのことである。最早「」つきでしか使用できない、「偉大さ」というロマン主義的な言葉に思い入れてしまう。


工業生産が盛んになって、手工芸から大量生産に移り、文化のエンジンが貴族的な人達から、いわゆる"ブルジョワ"に移っていく20世紀。大量生産・工業技術を表象するかのような高級品としてのRolexは20世紀前半から技術開発をして、戦後デイトジャストを完成させている。覇権が欧州から米国にうつり、中心的な思潮の担い手が、人文思想家からビジネスマン・エコノミストに移っていった20世紀を懐古するにはもってこいだ。パワーのあるスーツに装う日常使いとしては依然として出色の出来か。


メカニズムがゼンマイ式からクオーツ式へと移行する歩調は、日本が工業生産において存在感を強めていく歩調と重なっている。クオーツが登場した1970年頃は、"ショック"とまで言われたそうだけれど、日本の電気製品・電子製品のインパクトを代表しているのだろう。「こういった時計の似合うサラリーマンがかつての日本にはいた」と言ったデザイナーがいた。勤勉とか実直といった美徳をもった言葉としての"サラリーマン"には、ある種の憧憬を感じてしまう。エリートサラリーマンという言葉は、最早皮肉や嘲りとしてしか使われないが、かつての美徳は時計とともにきれいに保存しておきたいものだ。


G-shockが発売された1983年は消費社会のまっさかり。日本だけでなく、当時の先進国全体が大衆文化や消費文化に浸かっていた。それまでの時計には何らかのエリート臭があったが、そんな概念をひっくり返してくれた。ガテン系のタフさとかポップさとか。太陽電池とか電波時計とか計算機とかハイテク系がお好きなようだけど、この時計がrepresentしてくれる空気とか文化を考えてみるのは一興かもしれない。



時代の空気を運ぶマスの表象としてでなく、個人のポートレートにもなるのだろうけど、そこまではなかなか難しそうですね。