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オブジェクト思考ブロギング

「パタゴニア」 ブルース・チャトウィン

チャトウィンを旅人というのは不適切であろう。彼は定まった家を持って旅に「出かける」というあり方ではなく、むしろ移動し続けるというあり方を選んだ。

ある人は彼をベドウィンとか遊牧民といった言葉で表現する。しかし、それは適切な言葉だろうか?

ベドウィンにせよ遊牧民にせよ、生存のために集団で移動していた。一方、チャトウィンはどうだろう。移動し続けなければ(精神的に)死んでしまうという意味では、生存のためという表現もなりたつだろうが、生物学的な生存とはやはり違う意味だ。


チャトウィンは知的好奇心でドライブされた、移動し続けることを習性とする「個人」であったとすべきであろう。それは、極めて近代的な現象であり、遊牧民とかベドウィンといった昔からのカテゴリーとは全然違うと思う。ある人が、「家よりホテルの方が落ち着く」と言ったが、そんな感性は、まさに近代的でかつ独特な個人のものであろう。


とはいえ、チャトウィンのあり方の可能にした文化というのはあるわけで、それはアングロサクソンの帝国とそれに代表されるグローバリズム。彼のように奔放に歩き回れるのも、ひとえに、帝国の中心地で生まれたという文化的な背景と、帝国が中心となって整備した技術的なインフラのおかげである。そういった土壌があってこそ、この文芸的な花を咲かせることができたわけだ。


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パタゴニア」は人類学でのエスノグラフィーだか、ジャーナリストのルポタージュだか、小説家の自伝的小説だか、単なる日記なんだかよくわからない文章だけれど、その雑多な感じが魅力である。


これは、好奇心にまかせて移動し集め続けたオモチャ箱だ。その混沌には、アングロサクソンの最良の魅力がつまっている。情報を集め、流通させること。ジャーナリズム、メディアなるシステム。彼らのパワーのエッジの効いた部分がチャトウィンに見出されるだろう。


そして、そこから力を生み出すこと。金融、言論空間、民主主義。帝国を支えるのは、こういった情報システムとそれを力に変換するシステムである。彼のような人間が前衛avant-gardeとして、流通の対象やフィールドを切り開き、そして、やや後方で情報を力に変える人々やシステムが駆動する。


おりしも、サイードのオリエンタリズムと同時期に発売された本書だが(本書は1977年、オリエンタリズムは1978年)、この対比はなかなか面白い。



地の果てパタゴニア旧大陸のカルマを背負った漂泊者たちの見果てぬ夢の吹きだまり。著者は、幼少時に祖母の家で見た古生物の皮に誘われ、風吹きすさぶ大地パタゴニアへと赴いた。祖母のいとこチャーリーの消息を訪ねる旅は、はからずも権力夢想家、無法者、亡命者、アナーキスト、航海者など、エキセントリックな人物の物語をひもとく旅となった。才能を惜しまれながら夭折したブルース・チャトウィンの代表作。英国ホーソンデン賞受賞。E.M.フォスター米国芸術文学アカデミー賞受賞。ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー最優秀書籍。米国図書館連合ノウタブル・ブック選定図書。


↑は手に入りにくいので、最近のも