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ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

TVゲーム ・・・ 「ユリイカ2006年6月 特集 任天堂 Nintendo」

ちょっと昔の号だけど、澤野さんという方の「DSの思想」というエッセイが面白かった。

いわく、

任天堂ソニーマイクロソフトは競合として捉えられているが、任天堂の真の敵は「ゲーム有害論」であった。オモチャメーカーとしての任天堂は、家電メーカーやソフトメーカーとしてのソニーマイクロソフトよりもこの有害論は切実である。そもそも会社自体が否定されかねないから。

だから、DSの成功は売り上げだけでなく、競合に勝ったというだけでなく、この有害論に勝ったということが何よりであった。それは、かつて有害論を言っていたような年齢層が、脳トレに励む姿を見れば、万言を繰る必要もない。(←私見だけど、Wiiが家庭に家族交流をもたらしたという意味で、「パーソナル」コンピュータに対する「ファミリー」コンピュータという言葉も完成されたように思う。)

19世紀の昔には、小説に対しても有害論があった。小説なんかにふけって云々・・・いまや小説は大学で講義されるジャンルである。映画もそうだった・・・だいたいの娯楽はきっと似たような道を歩む。だから、ゲームも未来はどうなっているかわからない。(50歳くらいにオジサンが、子供たちに向かって、お前達ゲームもやらないなんて先が思いやられるよ、なんて言っている時代もくるのかも?)


とのこと。


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アメリカでは「インパクトゲームズ」なる会社が、パレスチナの和平交渉シュミレーションを作っているらしく、その会社もゲーム有害論に反駁するようなマインドを持っているのだろう。http://www.impactgames.com/
テレビゲームが生まれてだいぶ経つけれど、そろそろ有害論を乗り越えるような説得力のあるゲームが生まれるフェイズなのかもしれない。

あるいは、ゲームという行為自体が持っている「ゲーム的リアリズム」をいかにセンスよく取り入れていくかが、バーチャルとリアリティの境界を溶かしていくという意味において、これから重要なセンスなのかもしれない。どんな仕事や行為をするにせよ。

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ともあれ、ゲームという形で楽しく有益(そうな)ものを生み出していくってのはなかなかチャレンジングで面白そうだ。とはいえ、ゲームはゲームらしく楽しさをまず第一に追求するのが本道であるのは間違いないだろうが。