ideomics

オブジェクト思考ブロギング

カリフォルニア

ある友人がフェラーリの2009年発売新型の名前に文句を言っていた。それはないだろーwって。

カリフォルニア California」


でも、イタリアのメーカーがこの地名を選んだ感覚というのは、何となくわかる気がする。ヨーロッパみたいに歴史の重みが強い(強すぎる?)場から見たら、あの西海岸は、縛られない自由さといい、気候といい、軽快さといい、ある種の憧れの地なんではないかと思ったり。


20世紀最大の思想家とも目されるミシェル・フーコーは1976年に「性の歴史1」を出版して後、「性の歴史2」を出版する1984年まで8年もかけているが、この間に彼は、訪問したカリフォルニア(特にゲイコミュニティ)に衝撃を受け、筆を置いてしまったとも伝えられている。

フランスの佳き人文主義の砦中の砦、Monsieur Humanitasといってもいい彼がカリフォルニアの地を通して見たものは何だったんだろうか。彼の眼を共有してみたいという叶わない願望を抱いてみるけど、それこそ、深く考えないということにつきるのかもしれない。それがliberationってことかな。


前述のポストNYで安直に出てくるのは、我々の世代だとシリコンバレーだろう。安直すぎるけど、シリコンバレーの文化的位置づけ、歴史的位置付けってのは、整理してみたい課題だ。特に「工学なるもの」と絡めて。そんなこと思いつつ、この車の写真眺める今日この頃。