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オブジェクト思考ブロギング

ゴミの行く末を思いつつ、「いのちの食べかた」を思い出す

ここ最近東京都の一部の区では、積極的にゴミの分別をしなくなった。今まで燃えないゴミとされていた、プラゴミやトレイなんかが燃えるゴミになったから。おー遂に東京の焼却場も火力を高めたんだ、良かった、良かったと思っていたら、どうやら、燃えないゴミを埋め立てる場所がなくなったためらしい。いたしかない選択であったのか。


そんなゴミ達であるが、意外に彼らの行く末を自分は知らない。こいつらがどこにどう行っているのか。どんな形で埋められているのか。夢の島の話とか聞いても、現場を見たことはないし、これから排出される燃えないゴミは海外に「輸出」されるらしいので、ますます所在不明である。


そんなことを考えてたら、「いのちの食べかた」というドキュメンタリー映画を思い出した。この映画は、自分達の生活に密着している(はずの)食べものがどこから来ていて、どんな経路やプロセスを辿っているのかを、淡々と映像に収めていったもので、ナレーションがない分、より映像が脳に染み渡る傑作である。ゴミも、これからどこへ行って、どんなプロセスを踏むのか。そんなドキュメンタリーを空想してみる。てか脳の中では監督のつもりになっている。


ある友人が、この映画を評して、「サブプライムと似ている」と言っていた。つまり、リスクが世界のあちこちに分散しているので、全体像を掴んでいる者がほぼ皆無である、と。過度の証券化と同じように、過度に食物供給を分散するのも、食物供給を安定化させるという意味でリスクを分散させているが、得体の知れないリスクを呼び込んでいるのかも。もちろんただのアナロジーなので、話しだけで終わってくれた方が嬉しいが。中国の農薬云々の話が例として出てきたくらいで、そんな楽観もできない・・・


映画的な側面での評価は、また別の友人の評価参照
http://blog.livedoor.jp/hk1r/archives/51041766.html