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ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

イタリア旅行1 ヴェネツィア


3月1日から3月19日までイタリアに旅行してきた。わりと前からイタリアを卒業旅行の行き先にしようと決めていたが、期待に違わず充実していた。ヴェネツィアから始まり、パドヴァヴェローナフィレンツェ、ローマ、南の海岸沿いを廻り、ナポリから帰国。どの街も個性的で魅力的だった。


ヴェネツィア

15世紀くらいからほとんど変わってない。一言で言うとディズニーランドあるいはディズニーシー。女の子のための街だ。

朝のサンマルコ寺院(ヴェネツィアのメイン寺院)はどこか寂しげであったが、昼から人が集まり始めると、サンマルコ寺院が急に魅力的に思えてきた。


この寺院は、孤独の中で神と出会うというより、みんなで合唱するために設計されているようだ。広場に人がたくさんいた方がいい。この「集合性」に対する感覚にカソリックの強さや知恵を感じた。みんなと一緒にいること、集合性・・・どこか現代の消費社会と通じるものがある。

それにしても、サンマルコ広場は日本の「女子大生」が良く似合う。彼女達の可愛くてファンシーな服装・・・言うまでも他国の女子を圧倒している・・・はサンマルコ寺院という舞台装置の前で一層華やかに可愛らしかった。彼女達は誰よりヴェネツィアが良く似合う。彼女達は他の誰より楽しそうに旅行する。服の詰まった大きなスーツケースを抱えて。そして、彼女達の楽しそうな笑顔にはうそ臭さがない。どちらかと言えばインテリに属する我々は、理性や批判や学術に追われて、彼女達のような無垢な笑顔を忘れている。



(ちなみに右方で、とある東洋人が難しい顔してコーヒーを飲んでますが、ヴェネツィアのためにも彼のためにも、その点については触れないであげてください。)



ヴェネツィアは完全に観光に特化した街である。ヴェネツィアン・グラス以外、他の産業など皆無に近い。これもひとつのやり方。ちなみに、人口は7万人とか。東京の町1つ分だ。ディズニーシーに人が住んでたら、そりゃ冷めるものな。言わば一種の廃墟である。友人がこの街は水に沈んだらより幻想性が増して良いかもしれないというようなことを言っていたが、私もそう思うことがある。生きながら遺跡的な街だ。良くも悪くも、この街は時計の針を止めて、仮死状態にある。


ヴェネツィアに限らず、イタリアは観光のモノカルチャー化してるのではないだろうか。EUという統一体の中で分業が進むにつれて、ますますそれに拍車がかかるのではないかと思われた。そして、どの都市も時計を止めて、今ある観光資源の利子で生活していくのかもしれない。ただ、ヴェネツィアン・グラスはとても素敵だったので、ちょっと欲しい気もする。恋人や奥さんへの贈り物にはとても良いかもしれない。


しかし正直言うと、ヴェネツィアにはそれほど興味がそそられなかった。それはきっとこの街がひとつのファンタジーであるからだろう。霧とともにこの街に漂う非現実感や現実逃避感は、麻薬に近い危険な香りがしてしまったから。もちろんとても綺麗な街で魅力はあるのだけれど。私はリアリティの方が好みだ。たまに来るのはとても楽しいと思うが、1週間以上はいれない気がする・・・せっかちな現代に毒されているのかしら。

結論:ヴェネツィアに男だけで来てはならない。