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オブジェクト思考ブロギング

マドリッカ ── フェミニズムについて ──


マサキウスと友人のマドリッカが大学にて偶然出会う。

「やあマドリッカ、今日もアフガニスタン風に綺麗だね。」

「また適当なことを。楽しそうにしてるけど、どうかしたの。」

「携帯を変えたのだ。P704iμにね。実にスタイリッシュで素敵なフォルムだな。惚れ惚れしてしまう。着メロをどうしようか、迷い中なのだ。」

「随分な喜び様。そのうち、携帯にビーズとか付け始めるんじゃないの。」

「そこまでは行かないと思うがね。それにしても、君は若い女性には珍しくそういった世俗的なことがあまり好きではないのだなぁ。」

「そうね。少なくともマサキウスがよく引用するCanCam的なものに、そのまま合うタイプではないかな。かといって、いわゆるフェミニズムにそのままフィットするかというと、そういうわけでもないのだけど。」

「確かに上手い表現が見つからないポジションではあるね。しかし、ここ数年はCanCam的なものの隆盛が目立ったね。」

「皮肉な結果だよね。古典的なフェミニズムが「自立した女」を広めようと、昔ながらの女性像を批判してきたことによって、「良妻賢母」といった古風な女性像は廃れていったけど、その分の空白を埋めるように勢力を伸ばしたのが、フェミニスト達が望んだような「自立した女」ではなく、古典的フェミニストの敵である「可愛い女」だったというのは。フェミニズムへの反動は昔からあったと思うけど、昨今の「可愛い女」の広まりは、少し前の景気回復も合わせて著しかったし。」

「まぁそちらの方が若い時代に楽しいものな。それに「可愛い女」の価値は古今東西にわたってわかりやすく存在するしね。実際僕も好きだ。」

「はいはい。最近はその反動みたいのも少し見られるけど。「女性の品格」とかね。あの本を買っていく層の分析をしたら興味深いかもしれない。50、60代の人が買っていくのはいかにもだけれど、20代、30代の人が買っていくとしたら、何かしらの象徴なのかも。でも私は、ああいった別なテーゼを打ち出すのは少し抵抗があるんだよね。CanCam的なものには飲まれたくないけど、別なロールモデルが欲しいわけでもないし。他の先進国には他に魅力的なロールモデルがあるのだろうけど、テーゼを立てること自体への抵抗があったり・・・。永遠に野党=アンチテーゼであることも、ひとつの価値じゃない?」

「なかなか渋い考え方だね。わりと同意するかも。しかし、古典的な「良妻賢母」というテーゼの復活はありえないということか。」

「そりゃそうよ。相変わらず保守的な好みだね。」

「いや僕の好みの話というよりむしろ、社会的な重要性ゆえなのだが。反動的という謗りは免れないと思うけれど。良妻は置いておこう。それは男性の都合と言われて然るべきものだからね。しかし、賢母は社会的にも必要なのではないだろうか。凡百の仕事を置いて、高い位置を占めるべきなのではと思うくらいだよ。多くの仕事のために準備としての学科があるのに、これだけ重要な仕事に対して、準備としての学科がないのは実に不思議だな。」

「確かにね。でも、母親のやる事って学習よりはるかに本能に近い気がするけど。知識が集積されているわけでもないし、なかなか伝えにくそうだし。」

「それはその通りだけどね。しかし、仮に医師になろうとする医学生が、医学をしっかり学ぶのが不自然でないならば、専業主婦になろうとする人が、「母業」を学ぶことは必ずしも不自然ではないとも思うんだよね。働いている人にまで要求するのは明らかに不当に要求過多だが。」

「そういう意味では、昔の女子大は文化としてはそういった機能を果たしていたのかもしれないわね。でも、医学をきちんと勉強していないマサキウスが言えることかなw」

「これは手厳しいな。何も言い返せないや。いやしかし、女子大にはそういう面があっただろうね。僕の知識不足もあるだろうが、現在そういった機会はあるのかな。四谷雙葉とかはそれにあたるのかな。よくは知らないけれど。なかなか母という存在が、他の仕事のように「社会的な」ものとして認知されにくいね。確かに子育ては多分にプライベートなものであるけど、公共性も高い事業であるはずだと思うのだが。」

「そうね。それはそっくり男性に、良夫賢父への要求にも当てはまるけど。」

「それはその通りだ。しかし、僕がこんなことを思うのも、公共的な必要性だけでなく、あともう一つ、今の学問体系が少なからぬ人に合っていないのではという懸念もあるのだ。今の大学を中心とする学問体系は、いわば西洋の男性が自分たちのためにつくってきた服という面もあるのだから、それがフィットしない人がいても不思議ではない。僕のような西洋かぶれの男ですら、その男臭さと窮屈さに窒息しかねないくらいだし。」

「それはローレンス・サマーズ*1みたいな主張?」

「いや、そういう意味ではないよ。能力というより価値観ゆえに合わない人も多いという気がするのだ。僕は、ヒラリー・クリントン支持だし、経営者や政治家に女性は増えるべきだと思っているし、最も尊敬する学者にハンナ・アレントを挙げている時点で、フェミニストの糾弾は免れていると思うがね。言うまでもなく、今の学問体系が合っている人はそのまま進めば良いと思うよ。」

「今の教育内容があまり女性のニーズに答えてないという面は多分にあるかもね。たとえ好奇心と優れた才能をもった人でも、興味が別にあることも多いかもしれない。東京大学にも少なからずいるのかもしれないね。」

フェミニストの言うように、古典的な価値観や賢母を強制するのは悪に違いないが、しかし、何らかの自由なオプションが増えるのは良いように思うね。別に今の世界と別に矛盾するわけでもないし。才能をいわゆる仕事や学術といった以外でフルに活かす方法があるのではと思うのだが・・・子育てを終えた人々といった人材をレジ打ちとかに使うだけももったいないしね。」

「でも具体的にはどうするの?何か学校みたいなものをつくれってこと?」

「うーん、それは今のところは何とも言えないなぁ。そもそも学校つくって解決する課題なのかよくわからないな。昔にもそういった発想で女子教育がなされたことを考えると、全く新しい話でもないし、本能という点もよくわかる気がするね。とりあえず、知識を社会的に蓄積することは必要かと思うが。少し考えてみたい話ではあるけど、ここは他の人たちの意見も聞いてみた方が良いかもしれないな。僕は明らかに力不足だよ。」

「うーん、じゃあアキコンヌにでも今度聞いてみようかな。」

*1:ハーバード大学元学長。(記憶がだいぶあやふやだけど)女性は数学・物理といった学問に向いてないという発言が糾弾された(気がする)。