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サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

彼等について私が知っている2,3の事柄

彼等とは政教分離あるいは寛容論 ────

9月11日 マンハッタンのワールドトレードセンターに、原理主義者達から2機のジェット機が贈られた。数週後、ホワイトハウスコリン・パウエル氏を国務長官から解任し、イスラム世界に対する十字戦争は本格的な段階に入ったと、勇敢なる米国大統領は宣言した。

──── 彼とはマルティン・ルター。宗教家だ。

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クリスマス=ジーザスの誕生日。私はマルティン・ルターを紐解く。2000年前のヘブライ人とその末裔達・・・ジーザス、アウグスティヌス、クザーヌス、ルター・・・。ヨーロッパとは彼らの娘の名だ。


9.11によって犯されたものとは、政教分離あるいは寛容論。そしてその家に住まう美しい娘ヨーロッパ。勇敢なる原理主義者と勇敢なる米国大統領によって。政教分離とは人工的な建築物だ───その建築家とは誰か?それを破壊する者とは?


かつて偉大な土木作業員がいた。彼の基礎工事「現世の主権について」(Martin Luther, 1523)によって、美しいヨーロッパに堅牢な家が準備された。暴漢からのセキュリティ、すなわち政教分離あるいは寛容論を。彼とはつまり、福音書における政治哲学への注釈だ:「カエサルのものはカエサルに、神のものは神のものに」


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15世紀、教会は魂への配慮を家に残し、財貨と世俗権力の獲得へと旅立った。同刻、世俗の国家は魂への進入と信仰の管理を開始した。土木作業員は反逆した。教会に。国家に。主権に。


「司教は神の言葉を放置し、それを以って霊魂を統治することをせず、却って俗界の君候に命じ、剣を以って之を統治せしめる。また反対に、俗界の君候は、暴利や略奪、姦通、殺人などの悪行を放任し、自分も之を行い、その後で司教に破門状を出させて之を処罰させる。彼らは剣刀をもって、霊魂を治め、破門状を以って身体を治める。俗界の君候が霊界を治め、霊界の君候が俗界を治める。」


宗教とはすなわち内面への権力。宗教とは牧者だ。宗教は何を為すべきかではなく、魂がいかにあるべきかを教える。行動を指示するものとは──── 暴力だ。会社だ。マーケットだ。政策だ。


モーセが『目には目を』と伝えたのは、神の国に属しない人に対してであって、かかる外面的な掟によって強制的に悪から離れさせるためである。けれども、お前達はさような掟を求めないようにせよ。『私の国は現世のものではない。真理から来た者は私の"声"を聞く。』」


しかし、

「君候が人民に強要しうることは、その口と手を従わせること以上に出でず、その心はたとえ彼らを八つ裂きにしようとも、なお信仰を強制することは決して出来ない。」


国家とはすなわち外面への権力。国家とは獄吏だ。そして暴力の集権化。租庸調とは何であったか──── ショバ代だ。暴力団への上納金とは?税金の原型(プロトタイプ)。


「専ら霊的な統治のみが国土と人民を治めるところでは、悪が手綱を放たれて、あらゆる悪が横行する。なぜなら、霊的な統治の意味を理解できる人は少ないのであるから。従って、彼らには剣の掟が必要である。」


しかし、

「如何なる権力も、自分が見、知り、判定しえ、改めえることのできる場合のみ、行動すべきであり、またし得るのである。けだし、自分の聞いたこともなければ見たこともない事柄をやみくもに裁判しようとするのは、何という裁判官であろうか。そこで、聞きたいものであるが、人間がどうして人の内心を見たり、知ったり、裁いたり、判定したり、改めたりすることが出来るか。さような力はただ神にのみ保留されている。」


国家による内面/思想の統制、すなわち戦時下の日本。宗教による外面/暴力の統制、すなわち十字軍。大いなる暴力は生まれ育った。ここにも、そこにも、どこにでも。私達には家が必要だ。暴漢を防ぐ堅牢な家が。


Balance of Power:権力の分割と拮抗。
内面への権力と外面への権力の分割。
内面と外面の分離?それは、我々個人の中では分かちがたく結びついている。
内面と外面の分離?それでも、我々は公的な領域において達成しなければならない。
内面の権力<宗教>と外面の権力<政治>が分離・拮抗。
我々はより大いなる暴力を逃れうるのか。


Balance of Power:権力の分割と拮抗。
権力は分割すべきか?大いに分割すべきか?
三権分立:3つでよいのか?四権分立:4つでも? 5,6,7,8・・・・?
自由市場、両院制、連邦制、メディアの独立、census bureau、思想の自由、公共放送・・・・? ? ?
私は静かに記す。未だ建設途上の建築物の呼び名を
─────── B・A・L・A・N・C・E・O・F・P・O・W・E・R


「力によって他者に行動・・・それが暴力であれ、善行であれ・・・を強いるとき、私達は宗教という言葉を口にしてはならない。宗教が成り立つのは、精神世界のみである。暴力が消えることはないであろうが、その制御は優れて政治的な課題である。宗教は内面から変える力を持っているものの、今発生しようしている暴力の制御は政治の仕事となる。そして、暴力に対抗するための暴力も、宗教の名において行われるわけにはいかない。」


力による神殿。強制された歓喜。強制された信仰。強制されたマザーテレサ。それは希望でも光でもない。悪夢だ。
おそらく「宗教者」は手と足を切り取らねばならない。


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我々の国家は未だ内面への権力を握っている──── 教育。
我々は、国家=暴力の集権組織からなお詰め込まれる。知識、道徳、筋力・・・より優れた家畜となるために。奴隷適正テストを受け、どちらが飼い主の靴をきれいに舐めることができるかを競う。教育あるいは内面への権力。内面への権力?宗教との差異は?知識の習得とは「教え」となるのか?


教育はかつて宗教のもとにあった。フランス革命期、教育は宗教の庇護を離脱した。コンドルセ、ロム、サン=テチエンヌ、ルペルティエ、ブーキエ、ド・トラシー・・・彼らは綱を引きあった。一方は国家の方から。一方は宗教の方から。今や、教育は宗教からは独立し、国家のもとにある。フランス革命とはつまり、国家による教育の収奪、内面への権力の収奪だ。


そして国家は再び収奪する。我々から生命を。健康保険、介護保険、年金、社会保障・・・・我々の生命は、再びあの暴力の集権組織たる国家の手の中にある。ミシェル・フーコー。国家(=暴力の集権組織)による、生命の更なる収奪の告発者だ。bio-politique、社会医学の誕生、狂気の歴史・・・。ミシェル・フーコー。彼もまた反復されたマルティン・ルターであったのか。


おそらく教育は国家から独立しなければならない。そして、宗教からも。政治とは?宗教とは?教育とは?─── このトリアーデの調律とは?


マルティン・ルターは繰り返される。彼は次の著作に取りかかる───

「教育における主権について」

教育<内面における大いなる権力、時として巨大な暴力>の主権について。


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私はコンピュータで受験問題を解く。Z会のおかげで。
静かに夢の道を出発し、全てを忘れる。
寛容を、自由を、精神を。言論を、魂を、公正を忘れる。


私は全てを忘れた。ゼロの地点に帰った。
ここから、再出発しなければならない。



*自由市場:自由市場の原理すなわち、政治家と企業家を切り離し政治権力者の仲間に独占と契約が付されることの抑止。ジョージ・W・ブッシュイラク市民とともにアダム・スミスの首も刎ねる。