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ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

丁寧さ

先日の日記で「丁寧」という部分に指摘を受けた。お前は、それがすごく足りてないんじゃないか、とY氏。数年来の友人だけあって、的確かつ意味深いつっこみだった。


丁寧さ。確かに自分にとても欠けていた要素である。何かとアバウトに過ごしがちなため、今まで何かを丁寧にやったという記憶が少ない。作業であれ何であれ、詰めが甘いとかやり切る能力が低いなどの指摘は小学校以来変わらずあてはまる。最後の「丁寧さ」が決定的に欠けることが多かったように思える。


ティーンの頃はそれでも良かったのかもしれないが、仕事であれ、家庭であれ、他者に責任を持つようになるのであれば、「丁寧さ」は決定的に必要になるに違いない。まして特に医療では。そして、指摘してくれた彼、あのCIA内定ともフランス外人部隊内定とも噂されるあの彼は「丁寧さ」の大家であったことに今更やっと気づいたのである。昔聞いたある修道士の言葉、労働に対する自分の見方が大きく変わったある一節を思い出す。「食事の皿を机に並べることも、心を込めて行えば、それは雑事ではなく『神への使い』となるのです。」


このところ、緩慢な人生を送り気味であったのか、このような批判を受けることを忘れていたようだ。互いに批判しあえる関係が理想的なのは言うまでもないだろうが、なかなか難しい課題である。ともすれば、批判が簡単に関係を壊してしまうことが多い中、それを恐れ互いに言葉を飲み込むこともある中で、いかにして共に批判しあえる関係・・・それが互いに意味を持つような関係・・・を、また別な人とも築いていけるかは今後の大きな課題なのだろう。


互いの関係を損なわずに(少なくとも長期的には)、批判をすること・されること。特に前者は、父性の追求すべき技芸artの一つでありうるかもしれないことを付記しておくべきだろうか。いや、それにしても難問だけど。