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サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

愛情の基礎値

相手によって人の好意や愛情といったものは変化するが、その人物に特有な愛情の基礎値というものがある気がする。そして、その基礎値には、親から幼い頃どれだけ大切にされてきたか・・・もちろん物質的な意味ではなく精神的な意味で・・・が大きく反映しているように思える。幼い頃見せられた愛情の形を無意識に踏襲するのだから、基礎値が子育てを通して伝達するのはごくごく当たり前の話だが、知性の教育が他人によっても為し得るのと際立った対照をなしているのが個人的には興味深い。当然遺伝子など親の態度以外のファクターも多々あるので、それだけでは決定できないけれど、知性や知識に比べ、家庭に依存してしまう割合が高いのは否めまい。


ある同年代の友人が、親に必要なことは、子供に「あなたはとても大切な人なのよ」というメッセージを何らかの形で(行為や言動を通じて)伝達し続けること・・・それには色々な形があるだろう・・・と、どうしてもやっちゃいけないことを教えることくらいで、後は子供が勝手に育つ、今の親は干渉しすぎ、ということを言っていた。確かに、幼い頃に大切にされてきたら、親としてはあとは何もいらないのではないかとも思える。大英帝国の貴族子弟・・・乳母や寄宿生活のある貴族子弟・・・において、肉親の果たした役割はその一点に尽きたのかもしれない。多くの賢い人にとっては、common senseなのかもしれないが、あまりその方面にあかるくない自分にとってはためになる意見だ。徳育や知育といくらさけんだ所で、愛情の基礎値が足りていないと、砂上の楼閣なんだろうか。


現代において一般に仕事と言われるものの知識がストックされ続けている(法学、医学、工学、経営学、etc)傾向にあって、家庭における「仕事」の知識・知恵が、あまりにも暗黙的な伝達に任されているのは興味深い。特にその「仕事」の中核にあるはずの子育て・・・人類が誕生してから連綿と続いている最も伝統的「仕事」たる子育て・・・に関しては、体系的な蓄積や明示的に共有された洞察が必ずしも多くないと言ってよい(自分が知らないだけかもだけど)のは、何ゆえだろうか。多分に価値判断を伴うこと、プライベートすぎて研究しにくいことなどは大きな理由ではあろうが。。。たまごクラブやひよこクラブだけでは、少し心許ない気もする。

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今まで(広い意味での)学びは本からが圧倒的に多かったが、最近は友人知人から学ぶことの割合が増えてきた気がする。ここ数年で在り方の構造改革がおきているのかもしれない。